ぬらりひょんを視たよ~って話です
ぬらりひょんが吸い込まれるように入っていった空き家ですがなんだか
結構いわくがある感じなんです。
多分普通の空き家にははいらないのかな?
其処はいわゆる三角地帯に立っていてまあ、
ん?って感じがする場所でして。
いわゆる異界の入り口の一つという感じなんです。
其処から次元の違う場へ行き来みたいな。
結構そういう場所らしきとこってなんだかあるんです。
鎌倉にも湘南にも。しかも住宅地となってるとこにも。
やはりなんとなく場の空気が違う感じです。
でこのぬらりひょんですが私の感覚だと
この世っていくつもの次元と時間の階層があって
それが同じ場所でもいくつもの次元と時間(現在過去未来的な)
があると言う感じです。
妖怪というものもこの同じ場所の違う次元に
生息していてたまたま次元があっちゃうとなんだか
見かけるというものなのかと。
私の感覚では妖怪とかって私達が住む次元の生物の
プロトタイプなのかなあ、と感じたりもします。
前にも書いたがこのよってあの世の写し世であって
霊の世界の出来事が時間差をおいてこの世にも起こる。
ただ時間と詳細は違うが大筋はそうなってて。
妖怪ってなんだかこの世の生物に近い形だったりするじゃん?
でもどこか姿がこっけいってのは我々の美的感覚からすると洗練されてない感じなのかも?
じゃあなんで今の人は妖怪を見れないか?
というと色々理由はあるが大きな理由は
先ほどもかいた異界への出入り口が昔と比べて少なくなった
(塞がったり)ということはあります。
多分幽界の影響の強かった時代はそこらかしこに出入り口があって
色んな物の怪なんかが
この世にもしょっちゅう現れてたのだと感じます。
まあ、当時の人のほうが妖怪感度が高かったというのもありますが。
じゃあ、なんで低くなったか?
それはやはり体でなく頭の意識が高くなったということが
理由の一つです。
よく寒気がしたりなんとなく気持ちの悪い場所ってあるじゃん?
そういうのって頭でなく(理屈でなく)体がかんじるでしょ?
そういった感覚って実は肉体意識なんです。
よく肉体意識(感覚)は江戸時代の日本人と比べて
めちゃくちゃ低くなってるって言われるでしょ?
江戸時代の人もその前の時代と比べると低くなってると。
それがそのまま妖怪アンテナの感度になるんです。
じゃあ、なぜ昔の人は肉体意識が強かったか?
というとよくも悪くも戦等が普通にあって
生死をかけるということが日常で意識されていたからだと思います。
現代のアスリートだって流石に生死というものを
毎日意識はしてないでしょ?
やはりその差は大きいと感じます。
ある意味感じる能力の差、それが視る力の差になってると思います。
なので昔の妖怪絵巻的なものを見ると、成る程、分かるよ、
って感じで相当感心しますし。
姿とか本当によく見えてますね。昔の人は