将門公は怨霊化して義経公は怨霊化しなかったのはなぜか?
前編はこちらの裏ブログ読んでください
http://blog.livedoor.jp/a4668-rerere/
こちらね まずそちらを読まないと理解できないですので
さて将門公 本来怨霊とはなってない、なるはずないでしたが
なりましたよね
私の妄想では江戸初期にと書きましたよね
だれがしかけたかといいますと 家康、天海、本多さんしかないです
このラインね
さてここで なぜにもう一人の僧 崇伝ではないか?この方世間のイメージって
大阪の陣の国家安康のイメージくらいでしょ?
ですがこの方 実は実務的なブレーンとしては天海さんなんか足元に及ばない方
なのです
なぜこの方がくわわってないか?この方臨済宗のかたですから 呪術的にはやはり
天台宗の天海さんでしょう しかも国家プロジェクトとして 施せる方って
ちなみに 国家安康の言いだしっぺ この方じゃないと感じます 私ぜったいに本多さんだと
確信してます
さてなぜに将門公を怨霊化させたか?そしてなぜ将門こうだったか?非業の死をとげた方まだ沢山いるじゃん それこそ崇徳上皇を持ってきた方が強力ジャン とおもいません?
なぜ怨霊化させたか そんなの簡単 神田明神を今後も絶対に移転させないためなのです
これ めっちゃ効果的に呪詛かかってます
すげ~と思いますもん 呪詛自体もですが それ以上に風聞といいますか そっちの仕掛けも
なんで動かしたくないか?
そんなのは簡単 その3人が江戸の鬼門を最重要視してたから
ちなみに奥州藤原氏のボンクラ3代目はなぜ怨霊化しなかったか?
さて日本史の中では、これは怨霊として使えるんじゃないか?
そんな感じで祀り上げて、怨霊として呪詛に使ってたというパターン結構あったと感じるのです
なぜって?呪術する人間なら普通にその発想持ってるでしょ
狗神やら動物使う呪詛なんかもろにそのパターンですから
私が勝手に思うにそれらをですね、もとからあったお社なんかに勝手に合祀なんかしちゃって
怨霊神化しちゃってたりするんだろうな~と思ったりするのです
なぜかといいますと、以前とある山のお社がもろにそんな感じがしたからです
ああ、ここってそんな風に使ってたんだろうなと~
それが良い悪いという話ではなく現実そういうこともありますわなといいだけのお話です
お社じゃなくてもなんとか塚なんかの塚なんかもそういうのもあると思います はい
恐ろしい