業のお話です
悩みやらあって霊能者さんとこ行って号ですと言われればやはりへこむ
でも業って前世の業から家系の業から全体の業まであるじゃないですか
業がないならこの世に生まれてこないかもしれないっすよね
この世で生きてるものってすべて業を持ってると思います
例えば障害の子供は業ですと言われたりもすることあるでしょ?霊能者に
不慮の事故で死んだ方、障害のある方は業があって
健常者の自分達には業はない
その考えって不遜です
人間って生きてるだけで業を積んでるんです
私もあなたも生きてれば殺生せざるえないし
ベジタリアンだって植物の命食べてるでしょ?
石油やら生活すると言うことは環境破壊してるし地球をきづつけてるでしょ?
どんなに優しく生きてたって絶対誰かに迷惑かけて嫌な思いさせてる
そういうことは俺はまったくない!!っていってるのと同じでしてそれは不遜です
悪人正機説とかいうのでどこぞの立派な坊さんもいってるでしょ?
地震で亡くなった、障害を持ってるその方たちだけが業を抱えてるわけでなく我々だって抱えてるわけ
たまたまその方たちは今世のそのタイミングで何かおきたりしたというだけで
我々だっていつ起きるか?本当は我々だったのかもなんです
でもさあ、そうやって考えたら気が楽じゃない?霊能者に あんたは業が深いから不幸になる!!
絶望でしょ?自殺もんでしょ?そんなこと言われたら
ですが、みんなが同じように業を抱えてるとしたら大差ないじゃん
それでも楽しく生活してるひといたら自分だって出来るじゃんって
それに生きてる限り業を積むと言うことは徳だってつめちゃうわけ
あんまそういう教えってきかないけど
そうだと思うのです
ま、私はそう勝手に解釈してるというだけの話なので
おかしくないか?という意見もあると思います
ま、それはそれでしゃーない
話変わりますが家を買う、建てる、
悩みますよね 車以上に、一生ものですから
どこにたてるか?とか間取りとか
間取りよりも立地ですよね
当たり前ですが ただそれを選ぶにはお金が~という現実が
私色んな方みてるとですね、土地を選んでるようで
実は選ばれてるだけでは?
と思うのです
アイツは資金がある、運がある、、徳がこれくらいで業がこれくらいで~
とかの諸条件を土地が逆に査定してるんじゃないかなあと思ったりも
そうするとやはり土地と言うものに敬意を払わないとと思います
絶対に
私マンション購入したときですね
実はここの土地を所有していただろう方の
お墓に参ってるのです(鎌倉武士なのです ここら辺りの所有者は)
それは必ずしとかないとな~と思ったのです
土地って先祖代々命を懸けて守ってきたものじゃないっすか
特に鎌倉という土地は
平氏をやっつけて源氏の世にする悲願ってなんで?
なのですが
根本は自分たちが一生懸命開墾した土地の所有を認めてもらいたい
それが鎌倉武士たちの悲願であり
それを叶えてくれるかも?俺たちの声を聞いてくれるかも?
その期待で鎌倉武士団は源頼朝を担いだのです 味方したのです
平氏全盛の時代に
それくらいの悲願であった土地所有~なので
やはりご挨拶はしとかないとな~と思うのです