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ある家の祀られなくなったお稲荷様のお話

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さて、鎌倉から逗子マリーナを望むです

夏の終わりごろでしたからこれから気温が下がるにつれ

もっと美しい夕焼けやらが見れるでしょう

ちなみに鎌倉は京都と同じで秋は夕暮れがおすすめ

(というか通年で夕暮れが)

 

さて最近思うことがありまして

仏様という存在は当たり前なのですが仏法という世界で動かれる存在だな~と思うのです

 

ま、仏教の方たちなのでそりゃそうだと思うものでしょうが

多分神仏というものは本来もっともっと広大に働く方たちなのだと思います

 

我々が認識できないような全宇宙レベルで

ただ我々が認識できる範囲で限定すると

やはり基本的には仏法の世界で働かれるのかなと

より色濃く働かれる、そんな感覚

 

仏様だけではなく神道の神様であれば神道の世界観、

中東の神であれば中東の世界観の中でよりよく働く

 

そんな感じなのでしょう

なのでヒンドゥー教的宗教感や風習、地域性なんかがあんま存在しない

日本なんかでガネーシャ様やダーキニー様なんかを持ち込んで

それを拝むよりも

 

日本流にアレンジというかそ~んな感じで長く拝まれてきた

聖天様やダキニ様のほうが日本という意識場の中では

よく働きやすい(働きを認識しやすい)

 

そんな感覚はあります

例えば私が南米なんかに旅行してブードゥーの神様に祈ってもらったとしても現地の方ほどのご利益は受けない気はしますし

 

自分自身がピンとこない気がするのです

台湾で道教の神であれば陰陽道や仏教にも影響はある方たちなので

多少はなじみあるということで

 

ブードゥーやキリスト教の神たちよりも効きそうな気はします

ま、あくまでも私の勝手な感覚なのでまったくもって間違ってる可能性も否定はできませんが

がはは(と今日はターザン山本風)

 

多分神仏なんかでも自分がホ円を感じました~という方もよろしいですが

代々家で祀ってきた方たちのほうが本来縁は深いんじゃないかと思うのです

家に伏見様なんかのお稲荷様を屋敷稲荷として祀ってたら

恋愛~うんうんやらで元箱根いくよりも

伏見様との縁を大事にしたほうがいいんじゃないか?

そう思います

何代にもわたってというのは本来強力な縁になると思うのです

逆にそういう縁の深いものを私の代で祀らなくなったりそういうのは

やはりよろしくない

 

神仏やご眷属がおこるというのもあるでしょうが

実は先祖がすごく怒る、そんな感覚があるのです

 

以前知人の知人(なので私にとっては全く知らない人)の相談を

知人から受けて

 

家運が衰退してしかも病人も出る これは祀らなくなったお稲荷様?

そんな内容でしたが

当然その家見に行ったりしないですが ははは

 

あんまそう言う方と縁は持ちたくないですから

な~んとなく浮かんだのがお稲荷様がおこってるというよりも

先祖たちがすごく怒ってる姿なのです

 

女の方たちなんかは、まあ仕方ないよね~

家のことや仕事で忙しいだろうし~

そんな感じで大目に見てるのですが

 

頑固ですぐ怒りそうな明治生まれの頑固おやじ

そんな感じの方々はすごく怒ってる

おまえなあ!!そんな感じで切れてる感じがするのです

一人だけでなく何人も

 

多分代々大事に祀ってきた方たちなのでしょう

昔は今よりも信仰も迷信も深く帰依してたじゃないっすか

なので屋敷稲荷なんて言うものは

本当にこの家の最も大切な神様として大事に大事に祀ってたんだと思うのです

それも代々と

その最も大切にしてきた宝物を粗末にしたらそりゃあ怒るよな~

そんなことが浮かんだ覚えがあります(ちょっとうろ覚え)

 

ちなみにお稲荷様はですね まあ普通に横を向いてる感じで

怒りもしない

こいつなんかは相手にもしていない

 

そんな感じなのです

案外神仏ってそういうものかもしれないですね

怒る価値もないし、期待だってしてないよ~

 

そんな感覚かも

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