知人のお母さんがご病気で日に日に弱っていく姿見るのがつらいと
凄くわかります
大切な人が苦しまれてたり、弱っていく姿って自分が苦しいより
いやですもん
私もあれだけ大好きだった祖母が亡くなる際はアルツになって
面影がなくなり弱ってる姿見たくなかったので
残念ながら面会やら介護やら逃げちゃいましたから
祖父母であれば両親がいるので逃げれますが
両親は逃げれないじゃないっすか
思うに人間老いて死ぬというのは誰にも逃げられない
始皇帝だって逃げれないかった
多分親が子供たちにその姿を見せることで人間にとって一番大切な
慈しむということを身をもって教えるようになっているのかも
親という大切なものが老いて苦しんで弱っていく姿見て
心痛まない人間なんていないじゃないっすか
そう考えると結局いくつになっても親っていうのは親なんだと思う
死や病であってもなんだかんだと子供たちに教え伝える存在なのかも
さて我が家の父もなんだかんだで生死にかかわる病気やらしてますが
その都度不死鳥のようによみがえってます
彼の口癖でうちは男が早死にで 自分のおやじも早くなくなったから
自分も早く死ぬ~と
どこぞの古のロッカーのようなこと言うのです
がんの時も、まあオヤジの年齢越したし死んでいいか~って
その時常に言ってたのが
あんたは勝手に死んでいけばいいかもしれんが
残された我々はすごく困る
母だってつらいだろうしまだまだ家族のために生きてもらわんと困る
あんたは勝手にここで死ぬというのは勝手だけど
だったら今後はあんたのためではなく家族のために生きろよと
命は自分のものだけではなく大切な人たちみんなのものなんだぞと
ま、本人に響いたかは謎ですが ははは
人間ですね、自分のためにはなかなか頑張れないけど
必要とされていると感じればその人たちのためには頑張れるじゃないっすか
人間何が一番うれしいかというとやはり誰かから必要とされること
どれだけお金があってもだれからも必要とされないのはさみしいです
(お金持ったことがないので実際は知らんけど多分)
会社でも家庭でも学校でも
周りの人に貴方はいてくれるから私は幸せなんです~と伝えることって
すごく大事だしある意味これ以上の徳積みってないんじゃないかとさえ思うのです
逆によくあるその人がいても空気のように扱って無視するって
とんでもないことっすよね
人間にとって一番必要な誰かに必要とされたいという欲求を
根本から否定してるんですから