さて織田信長と武田信玄の抗争を読んでいたらふと浮かんだことがあった
戦国で一番強い兵って薩摩じゃね?と
薩摩=鹿児島ね
織田はめっちゃ弱いよ~とか武田兵はめっちゃ強いよ~とか
いろいろ言われれるじゃないっすか
戦って戦術や兵数、運用等様々な条件があり単純に
どっちの兵が強いなんかわからんじゃないっすか?
それを無理くりどっちも同じ条件(人数も装備も)で戦わせたら?
という格闘技の夢的な夢想です
多分薩摩だろうな~って
今でもヤクザ抗争って九州、沖縄って壮絶じゃないっすか
それこそ壊滅的になったと報道される工藤会やはたまた道仁会、
沖縄の抗争なんかも
そう考えると多分九州ってメンタルも本土よりも激しく
戦っても強かったんでしょうな~
当時も薩摩兵の強さって折り紙つきじゃないっすか
幕末なんかでも薩摩兵って恐れられててまずは薩摩の初太刀はかわせというくらいに
多分新選組なんかと10人対10人で闇討ちやらなしの真向勝負の
荒野の決闘をしたら薩摩圧勝だったんじゃないかと
戦国最強と言われる武田兵も上杉兵も薩摩兵には勝てない気がします
実は次くらいに実は強かったんじゃないかとにらんでるのが案外
長曾我部あたりの四国兵なんですね
ちなみに西国一の強者と評された立花宗茂さんのとこの兵隊さんも九州枠で!!
長曾我部兵強い??と意外かもですが間違いなく強かった気がするのです
なぜかと聞かれれば根拠はないです なんとなく ははは
ちなみに坂東武者の名折れ~とばかりの武士の本拠関東はですね、
我らが東海や畿内あたりよりは強いでしょうが九州四国、東北と比べるとそこまでですな
上杉、武田も兵士の単純な強さでいえばそこまでという気がします
信玄さんの兵の運用の仕方や、謙信公のカリスマ性によるある意味の
新興宗教の信者さん的洗脳な感じでかも
北条さんも代々の当主が基本出来る方だったので運用のおかげかと
そう考えると経済的に発展していたり文化的に発展すると
無駄に兵士を死なせたくないので装備や運用法が発達し
単純に兵の強さ以上にそっちが大事なので弱兵化はしますよね
関が原で家康が天下を取ってからも結局薩摩の島津征討を行わなかったのもなんかわかります
厄介じゃないっすか 本音はあんな狂ったような人たち相手に戦いたくないよな~
まだ政権だって安定してないのに
そんな感覚だったかも
本土の人間にしたら島津っていやだったと思います
どう考えてもとんでもなく強く、なおかつ歴代の当主は皆さんできる男ばかり(島津に暗君なしという言葉があるほど)
たとえ征討できても自分もかなりの返り血浴びそうだし
しかもあんな日本の端っこにですから
その後も幕末まで結局ある意味島津共和国といいますか
ちょっと独立国っぽい感覚になってるのもわからんでも
そりゃあ幕府が最も警戒するのは薩摩だったでしょうな~
ちなみにもひとつ別枠で強いのが本願寺の一向宗
こちらは一人一人が強いというよりも
ゾンビ的な強さと怖さ
殺しても殺しても次々と死を恐れずにやってくるという
ある意味最も恐ろしく厄介
戦を聖戦と称し戦で死んだら極楽浄土に行けるが
戦を拒否したら永遠に浄土に行けないぞ!!と浄土の教えを
逆手に取った大儀を立てた宗教団体ですから
これは怖いっすよね~