さてご家族様が病気なんかでもうどうしようもない
でも何かしてあげられればと思うけど結局もう何もしてあげれない
そういう場合あるじゃないですか
どうしたらいいですか?何かできることはありますかって?
医学的な治療云々はもうお任せするしかないし、本人の運や体力を信じるしかない
多分そういうどうにもできない微力すぎるときに神仏にすがるのだと思います
すがって信仰する
何故ってもう人間に力ではどうにもできない
偉大な力に頼るしかない
現実にやれることはやりつくした あとは偉大な力に祈る
信じる
では何を信仰すれば?ですがご自身が日ごろ信仰してるものが一番
もしそれがなければ自分が手を合わせてすがりたくなる方、
縁を感じる方なのでしょう
もしかしたら八幡様や弁天様のような神様かもですし
お不動様やお地蔵様かもですしご先祖様なのかもしれない
そういう自然に手を合わせてすがりたくなる方々に手を合わせて信じる
それが大事なんじゃないかと思うのです
だって最後はそこしかないですから
大事なのはその時が終わったらそこでお終いではなく
そこからがスタートでそこから信、信仰と言うものに進むことなんじゃないかと思うのです
困った時だけ信仰します、お願いしますではなく
困った時がきっかけとして始まりです的に
結局我々人間ができることなんて本当に笑っちゃうくらいの微力なんだと思うのです
でもそのちっちゃなちっちゃなできることをやるというのも
とても大きな大きなことで
それをやってなおかつ大きな存在に手を合わせることしかできないんじゃないかと思う
結局私なんかもえらそうなこと書きますが
父が癌やらクモ膜下なんかになった時って現実的にできそうなことを
やったらあとはただ手を合わせることしかなかったですし
それがとても大事なことだったと思うのです
結局ですね 術で云々なんて言うのは所詮人間ができる範囲のことでしかなくその先のことと言うのは大いなる存在に祈ることしかできないと思うのです
それが私の場合如意輪様やダキニ様と言うだけで
皆さんの場合は神仏の方々かもですしもしかしたらイエス様やマリア様
ご先祖様かもですし そこはその方の縁というもので
多分大いなる存在の方々なんて我々の心なんてどう飾ってもとうにお見通しで
こいつはその場だけ一生懸命手を合わすがこれが終わったら結局は信仰なんてしないなとか
これが信仰につながるなとか分かってると思うのです
ま、そこは皆さんのご自由ですが
私の場合は多分その縁があったから毎日拝んでるだけかもしれませんが
あくまで私の考えということで教養なんかはしませんです
そりゃ違うだろ~という方だって普通にいると思いますから
迷信だろって
さてレポ