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魔都 血塗られた歴史の鎌倉のパワースポット

さて鎌倉 何がそんなに怖いの?

と霊感ゼロのお連れさんからきかれ

お前のすっぴんのほうが怖いわ!!と ま、正直者ですから

 

鎌倉書くたびに内容が変わるのですが いろんな側面があるというね

 

 

鎌倉の古戦場としての怖さ(新田に攻め滅ぼされた)

というのも確かになくはないが


其処は正直風化してます 長い年月と土地の浄化力によって


(御家人達のある種の潔さというのもあります、

仕方ないというか、軍事政権


であったので倒されるときも軍事でなら仕方ないという感じの)

それ以上に怖いのは鎌倉近辺

(三浦や伊豆もだが)の怨念です。

京都が魔都なら鎌倉は怨讐の都というか。

三浦氏をはじめとして有力御家人が

幕府に陥れられ滅ぼされてるじゃん?

その怨念が鎌倉に向かっていまだに感じます。

源氏が3代で非業の滅び方
をしたのもやはり有力御家人の怨念と感じます。
ではなぜその後の北条氏は続いたか?

ですがやはり策士泰時の仕掛けを感じます
この人物3代執権で御成敗式目なんかを作った名執権です。

結構霊的にも分かる人物で

鎌倉に怨念が飛んでいるというのは知っていて

(当時は誰もがしってたが)それを交わすために

基本合議制にして的を一つに絞らせなくした、


ということが感じられます。

その背景には以前も書いたが大江ひろもと

という幕府の政治的にも霊的にもキーパーソンとなる

人物の死も多いに関係もしそうですが

ですので私的には本当の鎌倉の怖さって

鎌倉自体というより鎌倉に対して外部から来る
怨念の怖さ、

上手くいえないが身の毛のよだつような怖さを感じます

ちなみに霊視すると昔は若宮大路は

夜は海からの人外のもの、というか物の怪というものが
鶴岡八幡宮に向かって上がって行ってる感じがします。
それらは鎌倉にとって悪いものでなく

鶴岡八幡宮にお供えのようなものを持って
夜な夜な大路を八幡宮に登ってます

ただ大銀杏のあったあの階段は上がれずに

神楽殿(だっけ?)辺りまでしかこれません。
その辺りに何かを置いていっています。
で今視えたのですが武内宿祢を祭ってるじゃん?
あの人物(というか人霊ね、祭られてる)

が呼び寄せてますね。
そういえば武内さんて神宮皇后の渡来しての戦い

(伝説ね)なんかで有名だったし
結構海とゆかりがあるというか

海のもの(物の怪)を結構使えていたのかも?

唯一源氏が苦手な(東国武士ね)

海戦というものというか海に対する備えとしての意味も
かねて勧請したのかも?

 

 

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