さて加藤清正(ドクターK)、福島正則(マサ福島)の豊家譜代の両巨頭
家康が警戒していたのはやはり加藤の清正さん
他の大名に影響があったのは実は福島の正則さん
両巨頭、格も同じというイメージですが
当時のイメージとしては秀吉子飼いの筆頭は福島正則で
清正はその下というイメージかと
福島さんを諌めたり補佐したりというイメージで主は福島です
なので関が原の論功賞でも福島正則には思い切り気を使ってるじゃないですか?
ただ家康の中では福島は組みやすしといいますか
なんだかんだで挑発すれば自滅するだろうと思ってたかんが
ですが福島正則(マサ福島)、周囲の思惑とは実は違い
実は名将であり結構賢い方だったのです
結局だましうち的な言いがかりでの改易しかできなかったわけで
さて清正さん、この方は関が原以降一番警戒されてましたね
武だけでなく智もありかつ人徳もありましたから
それ以上に厄介なのは当時の最先端の科学技術
築城のスペシャリスト、!!
藤堂さんか加藤清正かというほどの
しかもこの方当時の最先端技術石垣のスペシャリスト
これほど厄介なことってないですよね
ちなみに石垣ができたから土台がしっかりしてあんなでかい建物がたてれるようになったんですよ~
もひとつ重要なのが、石垣でかさをあげたので主流となった鉄砲を
無力化できるようになったのです
画期的!!
当然熊本城の縄張りなんかはトップシークレットですが
徳川家だって全国の情報網で
どれだけ熊本城が落とせない城かと分かってるじゃないですか?
最悪のシナリオだって現実主義者の家康は考えてたと思います
秀頼を熊本城に迎えて戦上手の清正が堅固な熊本城に篭城する
日和見な西国大名がもし手を組んだら
島津なんてもっとも怪しいしってしかも大坂城を落とすのにもっとも効果的だった射程距離の長い大砲だって
この当時手に入ってたかどうか分からんしね
それは脅威ですよね
どうしたって加藤清正は邪魔であるし
熊本城は絶対に取り上げたいじゃないですか
と思ってたと思います
しかも清正は絶対挑発には乗らないだろうし
かといって些細なミスで取り潰しなんてことはしない男じゃないですか
そりゃあ二条城の会見は千載一遇のチャンスですよね
毒殺の
清正もそんなことは百も承知だったでしょう
歴史にIFはないですが
もしあれば この時点で浅野、加藤、福島の豊臣恩顧の武将が
秀頼を熊本城に迎えて徳川と戦ったら面白かっただろうなと思うのです
浪人中の立花宗茂(仕官してます?旗本で?)や島津あたりも加わって
この面子であれば後の大坂城の奉行衆も戦略にまったく口出しできないと思うので
近代軍備の西郷軍でさえ落とせなかった熊本城を
当代きっての戦上手たちが守る
攻めるは攻城戦が苦手な家康で大坂冬の陣を終結に導いた南蛮渡来の大砲はまだなく
大砲は射程距離が短く城まで届かない メッチャ、見たいです
ま、現実は清正存命中でも家康とは戦わせなかったでしょう
もしかして大坂城をでて国替えに従わせた気がします
福島、加藤でしたら淀君を国替え従わせれたきもなんとなくします
二条城謁見同様 われらが絶対に秀頼様をお守りいたしますといって
ちなみに難攻不落の大阪城ですが
実は大坂の陣では築30年くたってたのです
30年前の武装においては難攻不落ですが
当時は戦国時代真っただ中、しかもヨーロッパでは最新兵器が日進月歩の時代ですから
そりゃあ難攻不落と言えども時代遅れにはなります
多分秀吉さんがぼけ始めたころから大阪城の防備って改修されてない気がしますので
20年ほどは時代遅れ
ちなみに熊本城は1600年完成~なので
築10年ちょっと
しかも加藤清正はバリバリに戦ってた男!!大陸の攻城戦も経験し
ある意味日本有数の現役の戦う漢なので経験も豊富
最新の戦いも体験してるのでそれようの改修もしまくってたことでしょう
そりゃあ幕末の最新式の装備でも落とせない熊本城は落とせなかったんじゃないっすかね~
攻城戦では
しかも淀殿のような女衆が実験握ってないので
不利な講和なんか絶対ありえないでしょうし
いやいや、見てみたかったYO、徳川VS大阪方の熊本城籠城戦は
しかもある意味後詰に島津やらもいる状況で
戦況次第では毛利だって徳川裏切って挟み撃ち!!
ないこともないですから