さてとある武術家の方の記事を読んでいたところこれは使えるなということがありまして
除霊にこの身体操作は使えると
実はわたくし結構武術関連の書籍やら好きなのですが
何故って術に応用できるから
ちなみに我が家なんかでも霊のつかみ方というものが伝わっておりまして
それって武術の応用ですもん
ちなみに武術であれば対人間じゃないですか
人間って質量があるので中々実際に質量のある相手に効かせるのって
凄い修練と技術が必要じゃないですか
私なんかは実は、あ、出来ると思うと結構霊や術の世界ではできちゃう
何故って質量がないからなのです
質量があったらできません ははは
ま、イメージとしてメカニズムがつかめれば術としては
何度も試行錯誤してけば結構できちゃうのです はい
その方が言ってたことで凄く腑に落ちたのが
弟子にイメージをさせないという話で
何故かというと自分と同じイメージをいだけるかがわからないからって
ああ、そういうことねと思ったのです
師と弟子という間柄ってあるじゃないですか
結構自分と同じような体格のものに技を授けるというじゃないですか
そういうことだ~って
これよく言われる血筋もおなじだなと
結局同じ血筋、DNAって背格好も思考も似てるじゃないですか
一見似てなくても多分全くの他人よりは似てる
そりゃあ技術をそのまま受け継ぎやすいっすよね
同じような器ですから
血がつながっていなくても 結局は同じような思考やイメージをいだけないとその師と呼ばれる人の本質ってなかなか受け継げないのでしょう
表面的な技術は受け継げてもその奥のものが
ま、本来師と弟子というのはスポーツの選手とコーチという関係性とは全く別物で
多分住み込みなんかで寝食ともにして景子(は夜も景子でした)
稽古以外の時間なんかでの話や思考、この人を作ってきたものはなんだろな?ということ全てから
思考やイメージなんかを寄せていくということが大事なんでしょうね
ま、そこが同じ形の器になるということなんだろうなと
さてその記事読んでて思ったのがですね
うちの親戚に今は亡きじじばばの昔話(与太話)なんかで
いつ頃の先祖はこんな術ができた云々とどう考えても怪しいファンタジーを話してたのですが
あ、身体操作のイメージやらが凄くできる人ならありえたかも
もしかしてこんな感覚のイメージだったかな?とおもったりもです
ま、昔の人って我々と違って日常生活の身体操作が武術的動きだったりじゃないっすか
そりゃあ我々AI時代のぼんくらとは元の資質が違うのでしょうな
さてレポが溜まってるので今日もレポ