さてゴーストバスターズ後編
最終章です
なんだかんだでお礼を頂き岐路に着いたのですが。
正直私も先生も
ちゃんと封じ込めた感じがしてないんです。
大昔の術の封じ込めをリーディングすると
それこそ深い穴掘って其処にぐるぐる巻きにして
上から土をかけて且つその上に何トンとかの
大きな岩を乗っけてもう絶対でて来れない、
位のイメージだったり本当に九字で切り殺したり、
神仏(どちらかというと仏、しかも憤怒の。
明王だったりあとは天部の怖い方と呼ばれるものを使って)
に動いてもらって封じたり、
逆に手に負えない大きい力だと
交換条件で譲ってもらったり(社建てたりお供えしたり)
なんだが(交換条件は基本期間はずっとなのだが
近年祭ったりお供えしなくなってるでしょ?
それでまた大変になったりね)。
昔の術ってそれくらい徹底してたんです。
情けを掛ければ清盛の頼朝みたいに後に禍根を
残しちゃうから。
でそのときの術の感覚は単に縄で柱に縛り付けた、
という程度に感じたのです。
なので後に絶対術は解けるし大変だあ、
と思ってました。
その後その行者さんとも連絡は取ってなかったんですが。
(なんかお互い波長があわねーな、的な感覚で)。
何年かたってその方が会いたいと連絡が来たんです。
ま、昔話に花をではないがいいかな、
と思って会いに行くと実は病院。
しかも末期の肝臓癌で助かりません。
その時その行者は行者の末路は哀れとはよく言ったものだ。
自分は色んな霊を
封じたりしたが実は全く霊に情けを掛けなかったし
かけてはいけないと思っていた。
自分の術が完璧で力があれば
それでもよいが其処までも力がなく術が解けたときに
その霊の怒りが全て自分にやってくる。
また霊を扱うと多くのお金をもらい先生先生と祭り上げられる。
それでやはり天狗になり魔に魅入られてしまってたようだ。
一緒に封じに行った犬の化け物は
あなたが言うように柱にくくりつける程度の術で
そいつが最終的に自分の臓物を食い破った。
まさしく狗神と同じであれは狗だった。
君はまだ若いからこれから色んな道がある。
出来れば霊を扱う道は進まないで欲しい。
自分のようになる可能性のある世界だ。
どうやら霊を扱う、
術を使う時代というのは
自分たちの先達の時代で仏の意思として
終わっていたようだ。
自分は其処を見極めれなかった。
本当に行者のなれは哀れだよ、
と言ってました。
ま、そんな話なんだが。
今思えばその行者さんはそこそこ視れる方、
使える方だったがどこかで自分の力過信しちゃって
冷静な判断が出来なくなってたんでしょう。
ちょっとオカルトチックでしょ?