下積みや根性論の練習、何でこんなことせなならんの?
どんな意味があるの?
まったく意味ないじゃん?と思うことあるでしょ?
特に最近はこれはこういうことで意味があるのですと説明しないと
やんない って風潮あるじゃん
それ正しいけどさ 絶対に正しいかは分からんです
たとえばお寺さんの修行の雑巾がけ プロレスの修行の付き人や
理不尽ないじめ 極真空手の100人組み手
いろいろあるじゃないですか?
私あんがい 根性論推進派でして ははは 意外でしょ?
ま、日本人限定といいますか
文化的にも性質的にも実は
必要なんじゃないか?あっているのでは?と思ったりなのです
海外なんかで 空手指導で道場生に雑巾がけさせると
なんで金払ってるのにそんなことしないといけないんだ!!
とクレームくるじゃないですか?
そんなときは 日本のような国土も資源もアメリカと比べてないに等しい国が
アメリカ相手に戦えたのは 日本人の精神性 メンタリティのおかげ
それは雑巾がけやそういう精神修養から来るものだ!!
といえばいいのです はい
科学的に根拠のないことでも 受け継がれてやってるものって
とりあえず文句を言わずやるべきと思ってます
特にスポーツでなく
道とつくものは 武道やら茶道やら
まずやらないとはじまらない
スタート地点にも上れない そういう体系ですから
大事なのはその無駄と思われることから何を感じ取れるか?
そこだと思うのです
お寺さんのお掃除だったら 本尊のためもですが もしかして参拝にこられたを気持ちよくもてなすためのものかもですし
根性論なんかは 火事場の馬鹿力やあれだけ辛い思いしたんだから
という精神修養かもですし
もしかしたら 体格で勝る欧米人に勝つには同じベクトルの練習では
永久に差は埋まんないかもですし
大事なのはそれから何を感じるか もしかして 感じる力 考える力をつけるためかもですしね
動的な禅的要素もあるかもしれないですし はい
ちなみに合理的なジミヘンさんですが 人間最後は根性論と思ってます
たいていのことは我慢すりゃ何とかなります!!
根性と我慢ができりゃ時間様が何とかしてくれます ははは
時間が通り過ぎるまで根性でやり過ごすも結構大事