世界遺産の熊野、独特ですね~
南方熊楠さんという異質な天才なんかが産まれたのも納得
和歌山の地霊が産んだといってもよいかも
しかも田辺に移り住んだのって呼ばれた感じですよね~
和歌山ってやはりでっかい地龍というのを凄く感じるのですが
ある意味それを鎮めるために派遣されたのが御三家紀州藩の藩祖
徳川頼宣公だったのでは この方南龍公と呼ばれるほどに
剛毅で威厳ある人物
家康の子供たちで武闘派と呼んでもいいのは次男の秀康さんに
尾張の藩祖義直さん、独眼竜の婿殿忠輝さんですが
秀康さんは威圧感、義直さんは武道からしく内なる闘志と言いますか
忠輝さんはまさに魁夷!!
そんな感じですな
頼宣さんは文献にも残ってるようにいるだけで周りが気圧される
威厳ある人物、生まれながらにして人の上に立っちゃうような人物だったのでしょう
3代将軍家光もこの方に会うのは嫌だったんだと思います
気圧されるといいますか
しかも頼宣公と尾張の義直公が仲がよろしかったので家光は嫌だったでしょうし警戒もしたでしょうね
さて和歌山ですが 都から見てという視点で見ると凄く面白い
京が政治と文化の中心だった平安期に貴族たちがどこまでを
自分たちのテリトリーとしてみていたか
その地域とほかの地域をどう差別してたか
霊的に呪術的にとみると色々と視えてくる
都の公家サンたちの感覚で言えば やはり一番呪術的な
守備というかエネルギーをもらいやすいのがやはり滋賀なんでしょう
そして和歌山なんかは 滋賀よりもエネルギーは強力だけど
地域的に中々もらうのが大変なところ
そんな感覚ですし ここはすげ~な!!何なんだ、この異界は!!
そんなびっくり感覚でしょう そりゃあ補陀落思想だってこの地から~
分かりますよ!!
当時で考えれば都からここまで来るの相当大変だったじゃないっすか
それでも天皇さんが何度も熊野まで行幸するのって
やはり相当な霊的な何かがあるからなんすよね~
さて速玉神社 本殿でお参りしてるときに左上空に
でっかい日輪とそれの前にでっかいヤタガラスが浮かぶのです
んん?とおもってきいてみたら 熊野ってヤタガラスじゃん ははは
すっかり忘れてた
あんなでっかいの始めてみました しかもくっきりと
熊野牛王神符ですがこれ凄く効きそうっすね
魔除けとして、病気なんかにも効きそう
さてとある場所でですね 平安期の修験者たちが松明もって山に入っていくのを貴族達が見ている
そんな映像を視たのですが
ああ、そういうことね~ということがあったので後編に続きます