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上杉謙信は義の武将ではなく信仰の武将

さて裏ブログが最上義光と太閤さんになりそうなので

謙信公をこちらでリーディング

 

ちなみに私が好きな大名は信長公と上杉家なのです

謙信よりも実は景勝&直江のタッグ

さて謙信さん この方、義の武将とよく描かれるじゃないっすか

私の感覚ですと実は義ではないのです

 

確かに全く自分の徳にならない戦いに明け暮れた戦国時代唯一といって良いくらいの領土欲(我欲の)のない武将でしたが

 

義は跡を継いだ景勝さんですね この方の義は先代、カリスマ謙信公に対する忠義ですね

謙信公の行動規範を変えてはならないぞという

特に養子なのでなおさら

 

謙信さんの行動、思考をつらぬく柱って結局二つあって

1つが前回も書いた関東管領

 

この方の望む姿って自分が天下ではなく足利将軍家を再興して

その枠の中で関東管領として忠義に励むだったんじゃないかと

 

義理堅い!!

もう一つの柱

実はこっちのほうが謙信さんの思考や行動、生き方を決定してると思うのですが

実は仏教というか信仰

 

この方7歳でお寺に預けられお坊さんになってるじゃないっすか

7とてもよくできた坊さん時代だったそうで

 

謙信さんも仏教に深く帰依してたと感じます

結局この方の終生の行動指針って 信だったと思うのです

信仰の信

 

さてこれは仏教徒として、坊さんとしてどうなのか

そんな感覚なんですよね

 

越後国の領主として、関東管領としてではなく仏法に帰依したものとしてどう行動するか

 

その視点で見ると実はすべてつじつまが合うんです

生涯女性と交わらなかった 自分の徳にならない戦いに明け暮れた

云々

 

仏法に深く帰依し仏教徒として動くことで神仏が力をくれる

本尊(毘沙門様)と一体となれる、毘沙門様の化身となる

 

密教的思想っすよね!!

さてこの方毘沙門様は有名ですが

実は飯綱権現様も信仰してたと感じるのです

なぜって兜のお前立ちに飯綱様だったりで

 

お前立ちってその武将の信仰や最も大切にしてることを表すじゃないっすか

直江さんだったら愛染明王の愛みたいに

 

私のリーディングですと この方も自分で護摩焚いてるんですよね

合戦前に

その時の本尊が不動明王ではなくじつは飯綱様

飯綱護摩なんです はい

毘沙門様が守り本尊的な感覚で

飯綱様は戦勝祈願としてだった気が凄くします はい

 

戦の守りの神が毘沙門様で攻めの神が毘沙門様

 

この方北条氏何千の兵だかに包囲された人を助けに

数人の(すうじゅうにんか?)力士のようなでかい男に周りを囲ませ

単騎で城救出にむかったり(普通は速攻殺されますが北条軍がその気迫

なのか毘沙門様なのか)にびびって手出しできずに~ということがあったり

 

無茶するじゃないっすか 城攻めの時も鉄砲や弓の射程距離まで

お酒といす持って行ってそこに座ってたった一人で酒飲んで

 

相手は何千発と無味や鉄砲をうっても何故か全く当たらずに

無傷だったとか

 

ちょっと頭がおかしい人ですが 其れも結局仏法に深く帰依していて

毘沙門様が守ってくれてる(というより自分が毘沙門様の化身)だから

死ぬはずがないと思ってるんすよね

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