私にも父という生き物がいまして ま、性格等は以前書いたので置いといて
この男、完全な赤の人でして
我が家の書斎には百科事典ではなく資本論やレーニン全集といった
そっちの本ばかり
当然実存主義者なので霊の存在は信じないというスタンスですが
若いころから何度も死にかけてるのです
死にかけてるというより普通は死んでるという表現が正しい
バイクでも3回事故っておりそのうち1回はバイク事市バスの真下に
入ったという
山というのも大好きで若いころは山小屋をやりたいとガチで思ってたらしい男で
国体なんかにも出たそうです ちなみに雪崩に2回ほどあって
その時は完全に死んだ!!と思ったそうです
ま、年取ってからは癌やくも膜下出血で医者が覚悟してくださいの
レベルを生き返って未だにけろっとしてるという
その父がぽろっといった言葉があって
○○(父の兄)が助けてくれたのかもって
小学校に上がる前に病気で亡くなった父の兄がいまして
どうやら雪崩にあった時その兄が上!!とか何とか言って助けてくれたらしいんですね
私なんかいつも実家の仏壇で手を合わすと 父の兄が父を見守ってる姿が見えるのです
自分の分も長生きして自分が経験できなかったことを
たくさん経験してほしい うれしいことも悲しいこともいろんな経験してほしい
そんなこと言うんですね
そういうのを聞くとこの世でいろんな経験をするために
産まれてきたという説はあながち間違っていないのかもな~と思ったりもします
ちなみに何度も死にかけた父に 死を意識したときってどんな感じ?と聞くと
バイクで市バスに~の時はスローモーションのようだったって
ちょうど車輪の間にはいれそうと思ったそうです
こいつゾーンにはいってるZO!!ははは
雪崩の時は走馬灯のように人生がフラッシュバックしたそうで
雪崩が収まった時は対外離脱というのをしてたそうで
自分の体を上から眺めていた 救助に来た人たちに
おお~い、ここだぞ~と呼んでも誰一人聞こえなかったそうです
ちなみにくもまっかの時は倒れるまでは猛烈な頭痛がしてその後は全く意識がなかったという
あんま霊的にドラマチック体験はしてないそうです
ちなみにわたしも何度か死にかけて救急搬送されましたが
蜂の式を飛ばされ死にかけたときは完全に幻覚を見てました
ちなみに病院で12時間以上点滴やら心電図やらつけてやばい状態でした
多分10時間くらいは意識がなかった気はします 意識がなかった時なのか意識があった時なのかよくわかりませんが幻覚を見てました
凄く鮮明な これはまた次回にでも
さて父が大好きな拓郎とボブデュランですが
父、赤の活動家のくせに実は岡林信康とか聞かないんですな~
よく我が家で流れてました たぶんその時父は失恋してたのでしょう ははは
ええ歌だな~
ちなみに私も失恋をするとこの歌を口ずさみます 三つ子の魂100までかね~
ちなみに昔母の実家に行った際に白いギターを見つけてしまって
ぎょっとした覚えがあります ははは