祈願や祈祷についてのお話 最近難しいな~って思うのです
何がって?内容が
祈願祈祷って私がこうなってほしいじゃないですか
世の中というものって私だけではなく相手もいてそれを取り巻く社会というものもある
私の願いが実は私だけ都合よくでそれを取り巻く人たちにとっては
あんま都合よくなかったらどうなんかな~と
例えば身近な人の病気なんかも 当然治ってほしい
ですがそれによって病人が延命で苦しみ 想像以上の闘病生活で
家系は圧迫、介護で家族は疲弊という場合もあるかもですし
パワハラなんかで相手をやっつけたい
やっつけれたけど相手は解雇になって再就職もままならず
お子さんも進学をあきらめちゃう状況になって
実はそこまでは願ってなかったよ そういうこともあるかもしれないな~
当然病気は治って長生きしてほしいしパワハラは収まって
普通に職場に行きたいしというのは当然じゃないですか
そんなこと考えるとですね
最後は私にとっても相手にとっても周りにとっても最も良きように
お願いしますという感じで
そのもっともよきようの内容は神仏様にお任せというのが一番良いのかもしれないな~って
もっともよき内容を我々たかだか人間が想像できる範囲なんて
しれてて
神仏様の賢いお知恵にお任せしたほうが結果良いのかも
短期で見れば 自分が望む結果が望むようにが一番うれしいですが
人生というのは結局長距離走なので
長期で見たら神仏様の知慧のほうが断然素晴らしい
そんな気がします モラハラで解雇できても実は逆恨みされちゃって
刺されちゃうということだっけなくはないわけですし
以前から書いてる上限はひらっきぱなしという感じのほうがいいかも
多分祈願で私はこうこうこうしたい
そういうのが強すぎる(ある種の我欲)場合って そっぽ向かれる場合結構あるかも
それよりも皆さんにとって良きように~
私は私でその問題、希望に対してやれることやりますから~
そんな感じのほうが受け入れてくれやすい気がします はい
ま、世の中は明確にはっきりとお願い~というのが主流かもですが
少なくとも私にはそっちのほうがあってるな~って
ちなみに私 神仏様にお願いってないんすよね~
そんな希望というのは実はなく しいて言えば私の周りの人たちが
いつまでも健康で幸せで泣いたり悲しんだりせず長生きしてください位なんです
逆に言うと私の周りの大事な人たちを失うことが最もつらいことで
そこは皆さんもおんなじなんじゃないっすかね
さてレポ
実は、月曜日の夜から
急性胃腸炎で熱も出てしまい
一晩中苦しみました。
もちろん、いつも組んで頂いたブレスはしてるんですけど
いつも持ち歩いてるポーチから
お札を出して
枕の下に敷いて寝たんです。
次の日、病院に行ったのですが
これから2、3日しんどいかも知れませんと、
胃腸薬の他にも解熱剤ももらったのですが
なんとなんと、翌日はケロっと
すっかり良くなってしまいました。
きっと、お札のお陰だと思います。
いつもありがとうございました。