さて私的には昔から凄く疑問だったことがあったのですが
コメで納得解消したのです
何かといいますと伊達政宗公関連で。
黒脛巾組という忍び使ってたじゃないっすか(といわれる)
私的には伊達家の忍びって羽黒修験と密接な関係が凄くしてたのです
合戦というよりも秀吉政権に組み込まれてからは完全に中央の情報収集として優秀だった感じなのです
多分ですね、それまでは政宗公そこまで中央の情報収集は熱心で
はなかったと思うのです
秀吉っちゅう成り上がりがおるのか~ 偉そうに
位な感じだったのが小田原参陣でマジびっくり!!
ええ~!!上方ってこんなにすごいの?
兵隊さんの動員数もだけどこれだけの補給をできるなんて
おらが奥州は田舎だったな!!
ま、それくらいのカルチャーショックを受けたんじゃないっすかね
その後は豊臣、徳川政権下での生き残り&あわよくばなんかで
どこの大名よりも中央の情報というものを手に入れ活用しようとしてた感が
しかもこの方両政権で思い切り外様&石高もあるので睨まれてるじゃん!!
その忍び集団がなぜに羽黒修験と❓と思ってたのです
よく考えたら政宗公って仙台ではなく米沢じゃんね 出身って
米沢といえば上杉景勝&直江さんイメージでしたが太閤ドンのお国替えでそうなったじゃん
納得納得~なのです
さて今の時代に生きてる我々はそこまで当時の情報網の必要性、重要性がピンとこないですが
凄く重要 特に外様だったり中央から離れてる大名にしたら
今政権の中枢で何が行われ、何を考えてるか
それがわかんなかったらお終い 結局時の為政者の意に従わなければ
つぶされちゃいます
だって軍事政権だもん
ちなみに修験と忍びの関係ですが 我が家の先祖も滋賀県でして
かなり大きな庄屋さんもやってたんです
呪術なんかもなので そうするといろんな人や情報が集まってきたそうで
修験者~甲賀の忍び~傀儡子や鋳物師の道々の民~土地の有力者やら
~密教行者やら
そういう方々を世話してたらしいんすね
そういう方たちってえっこらせっと歩いて全国行ったり逆に
全国歩いてる人たちのつながりあるじゃん
そういう情報が入ってきたそうで それって其処治めてるものにとってのどから手が出るくらい必要じゃん
その情報を提供したりしてたらしい そのかいあって百姓のくせに
名字帯刀が許されてた それくらい情報が大事だったのです
そっか~政宗公米沢だもんな~ もろ羽黒修験じゃんと
ちなみにここの母 鬼嫁と呼ばれる義姫さん
政宗を殺そうとしたりですが
凄くサイキックなんすね!!やばいっすよ~
多分これ以前にも政宗調伏してると感じます はい
この方最上の家ですが 地方の神官の血とか(こっちかも)入ってないかな~
凄く血的にサイキック 呪術してる家系の人という感覚あるんです