さて毎年この季節死ぬほど花粉がつらいのですが
今年は先日師僧のお加持のおかげでかなり楽
ま、首についてた蛇を取っていただき、その後毎日
蛇をというか我が家の龍蛇様を神様として祀ってるのもかなり
効果が高い気がします
今まではうちの使い捨ててた蛇の式の供養という感じで拝んでましたが
神様として祀るとしたら全然変わってきました
さてそこで祀ると供養ですが
あくまでも私の素人感覚
供養って基本成仏できていない迷える、苦しんでる霊を楽になっていただいて~じゃないっすか
そのための手助けといいますか
祀るってもう神様としてなので恨みつらみや苦しみという状態は初めからなくて神様として接する そんな感覚
じゃあどうやって神様として?とお思いでしょうが 私もそれ考えました
本来のきちんとした神様として祀るという手順もですが
それと大事なのってこちらの接し方 気持ちの持ち方かもって
あいてを神様と思って接するお祀りする
それが一番じゃないかな~ そんな気がします
そうするとですね たしかに凄く花粉も体も楽なのです
暇があると神様として拝むのです するとおお~鼻も通るし
体も軽い!!特に肩や首なんかが
ま、また重くいたくなりますが その繰り返し
多分取れてはまたついて~と言う感じなのでしょうが
それをやっていくことで徐々に徐々にかな~って
さてそこで思ったのが 怨霊信仰
将門公や天神様のように特に恨みの念が強く怨霊として
という方たちって供養ではなく神様として祀ったじゃないですか
凄い知恵だな~と思うのです 基本神様として祀られたら
怨霊となって暴れたりしにくいといいますか 神様だもん
となってく感じじゃないっすか
それこそなにか神様に対して失礼なことをしない限り
確かに怨霊神として祀られた方がたってその後 凄く暴れてる感覚
ないじゃないっすか
それこそ後世の人々を助けてさえいる感覚さえ
そう考えると凄いな~と思うのです
ま、だからといって供養よりも素晴らしいというわけではなく
多分時と場合によってなのでしょう
どちらのほうが適してるかなというのは
さてレポ
息子ですが希望高校に無事合格できました。
ありがとうごさいますm(_ _)mお腹が痛くなるのは相変わらずですがおかげと自分で対処し
また良い先生友達達と出会い学校も休む事なく卒業できました。ありがとうごさいましたm(_ _)m
まあ、これは単に息子さんが頑張ったからでしょう
おめでとうございまっす