さて先日剣術家の方とお話しする機会がありまして
その前の夜だかくらいにふと浮かんだことがあったのです
ああ、剣術家(剣道家ではなく)の方たちって魔と言うかそういうもの
本来切れるんだろうな~と
刀って魔除けやらにも使われてたりするじゃないですか
其れこそ守り刀とかにも
本来そういう魔というか寄せ付けなかったり切ったりする霊力的なものが宿るのだと思うのです
博物館なんかの名刀なんかはどっちかと言えば眠ってる感覚多いのですが
以前居合をされてる方のお宅に行って真剣を見たときや
親戚の家にあった古刀なんかですね
黒い靄が勝手によっていってスパンと切れたりですから
鞘に入っておいてあるだけでも
身体操作と言うものってその道具を使うときに最も適した体の使い方じゃないですか
剣術家の方たちって竹刀ではなく真剣を使うこと前提の身体操作なんだと思うのです
そうするとその身体操作を使って刀を振るとですね
ま、その前に相手の潜在意識なんかに同調してそうすると
相手の中の魔と言うもの実は切れちゃうんじゃないかと思うのです
と聞いたら昔の書物なんかには昔の剣術家さんはそういうの切ってたという記述があるそうで
なるほどと
でですね もひとつ思ったのが
実はそういうことを使って現代の問題でもある鬱やら精神的な
諸問題ってスパンと切れるんじゃないかな~と思ったり
いろいろやり方なんかはあると思いますが
例えばクライアントさんなんかと原因を仮定しちゃってですね
それをある種の具現化したイメージにしちゃって
それをスパンと切る
多分本当はクライアントの真後ろなんかに立って背後から
スパンと切る(体は切っちゃだめですYO)とかしちゃったら
単なる言葉でよりもそこに正しい身体操作と剣術家さんの気合、
刀を振るわれることの恐怖なんかで
結構その仮定とした原因は切れた~と言う感じで
改善に向かう場合あるんじゃないかと思ったりなんですね
多分日本人って太平の世になってからの剣術って相手を切る技術
以上に精神の鍛練と言う意味強かったと思うのです
それこそ胆力を鍛えるとかそんな感じの
と思ったりなんですね
もひとつ思ったのが 武術家と呼ばれる方たちって技術的にも
それを求める精神も追い込むじゃないですか
やはり鬱なんかになりやすいだろうな~ バランスがとりにくいかも
特に道具を使ってる武術なんかはと思ったりもなのです
逆に言うと剣術って追求すれば追及するほど精神的にも追い込んでいき
バランスを崩しやすいから
精神の鍛錬と言うのもセットなのかもしれないです