コメで祈願のお話があったので少し
うちの近所って庚申塚と屋敷稲荷凄く多いのです
多分昔はもっと多かったかと
その中でも気になる稲荷があって
力あったのだな、ここの家は恩恵頂いてたなと
たまにそこの稲荷はご挨拶がてらお話聞きに行くのです
そのときに仰ったりするのが
稲荷に限らずご眷属さんたちって(稲荷は眷属で無いですが)
財やこの世のものって誰のものという区別が無いのです
ここの家の持ち物という感覚が それはお前達人間がかってに決めてるだけだろ?
お金は誰のお金という区別は無く ただお金
それをかってに右から左に動かして何が悪いの?
そんな感覚なのです
野生の動物が人間の畑の作物を取ることに罪悪感無いでしょ?野菜は野菜って
そんな感覚なのです
祀られてる稲荷が祈願受けるとするでしょ?
そうすると ここの家の者達は普段から良くしてくれてるな、なになに?お金が欲しい?
それじゃあ向かいの家にお金沢山あったからそれ持ってきたるぞ!!
そんな感覚
お金や物質は目に見えて分かるじゃないですか?
財運だったらわかんないですよね?減らされたほうも って感じですな
ま、ダキニ様も正神だったりだとそんなことは無いですが
そこはちゃんと上の世界だか仏の世界高に通じている神仏様は
無から有を生めるじゃないですか?
神仏の世界(実体の無い非物質の世界、想念の世界?思ったら出てくるみたいな)
そこに通じていないご眷属様だったら 無から有はうめないでしょ?
だったらやはり物質世界のものを物質世界に移動ですよね?
ってちょっといい話でしょ?
分かりやすくてためになるわ!!我ながら
ま、それが全部ではないと思うのですが なんとなくうちの近所のご眷属さんはそんな感じで話すのであった
はい