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聖母マリアは血の涙を流す 

これは宗教が絡むので

余り軽々しく書けないのですが。


以前長崎の殉教記念碑のことを書くか迷ったが、

今日ルイアームストロングの


このすばらしき世界を聴いていて

ちょっと感じたことがあったので書きます。

以前テレビでサッチモ(アームストロングさん)が

ベトナム戦争の慰問で兵士達を前に

こんな素晴らしすぎる歌を歌って

兵士達も皆泣いていたの見たときに

 


(これから前線で死んだり殺したりする兵隊さんにだよ、切なすぎ)


実は聖母マリアの波動と言うか

マリア様の姿を見たんです。

上空から白いお召し物を着た

とても大きな自愛に満ちたまさしく聖母が


我が子を抱き上げるように両手を拡げて。

そして実は殉教記念碑でもマリア様の波動に包まれ

祝福されている殉教者達が浮かぶのです。

ついでに言うと何度も書いているが

カーティスメイフィールドの、

バックツーザワールドという

 

ベトナムからの帰還兵を歌った曲の

ストリングスからもマリア様の波動が拡がってます。

で何がいいたいかというとマリア様は偉大だなあ、

と。スイマセン、軽くて。
慈愛の波動でまさしく聖母なんです。

上手くいえないが人類すべての聖母というかね。

善悪関係なくすべてを慈愛で包み込む感じです。
そしてマリア様が現れるときって

多分決まって柔らかい日差しがさしているんだろうなあ、と。

スイマセン、とっちらかってて。
何がいいたいかというとマリア様は大好きなんです。
多分マリア様は原理主義と言うものは悲しんでいて、

イエスの名の下に戦争をするのは悲しいのだろうな、

と思ったりで。

 
(この辺りはとてもデリケートな問題で、

原理主義の方は原理主義の方の
思想があるので私は全く否定しません。

それぞれ思想があり
それぞれを尊重しますので)。

 

これは書いていいか微妙ですが

長島の一向一揆の指導的立場にあったであろう人が
(実は農民でなく侍さん)が私に語りかけた言葉を。

何百年経って思うことは

実は如来様の名の下に多くの

犠牲者を出した戦いは

 
実は間違いだったのかと思っている。
当時は聖戦、信仰のために死ぬことは尊いと

思っていたが実は純粋な殉教ではなく
法主様のために多くの死者を出したのかもしれない。

 

当時は自分達が正しいと思っていたが

今の世の中を見ると政治に宗教が介入する
と言うことは正しくないと思う。

また当時の一向宗は枝葉の人たちは正に純粋なる
信仰であったが、実は一部の人間達が

純粋なる信仰を利用して利益を

むさぼろうとしていたのではないか?

あの戦いは聖戦ではなかったかもしれない、

戦いの最中に如来様が現れてくれなかったのは

我々に義がなかったのからかもしれない、

と言うような内容を述べてました。

なぜ現代語かと言うと声に聞こえると言うよりも
頭の中でパッと分かる、

いいたい内容が伝わると言うか。

上手くいえないが目の前に拡がるとか

聞こえると言うより一瞬で分かる、

膨大な情報がバン、っと降りてきて

 

自分の中で訳す感じなんです。

逆にいまいちなリーディングのときは

声がそのまま聞こえたり、

目の前に(普通に景色は見えていて、そ

れ以外にビジョンが見えるというか、

見るという器官がもう一つ増えて

 
目以外の何かで見てる感じです。

ちなみにそういう時は精度は悪いし

よくわかりません。
自分なりに解釈をするのですが

その解釈も今一です。

 
一瞬で分かるときは自分の解釈等

一切なくただ感じたこと、

分かったことそのままです。

 
あえて言うと犬をみたら犬って分かるでしょ?

そこにはアレは犬だっけ?
といった解釈やらは一切なく犬は犬、って感じで。

そんな感じです。

スイマセン、浄土真宗を

落としめてる分けじゃないです。

ただ一向宗にはやはり指揮官として

当時の侍(主君をもつ身)の人はいたんですね。
まあ、当然だが。

歌詞は訳してね ベトナムの帰還兵の黒人が アメリカに戻ってきたが

国家は何の保証もしてくれない

あの戦争はなんだったんだ?というような 反戦の歌

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