さて徳川家康さんの黒幕で天海という方がいまして
中々いろんな意味で怪しいお坊さん ふと今頃気づいたのですが
お名前 天と海
空と海のあの方を意識したお名前っすよね 今頃ですが ははは
天海ね、明智の血って書いたが正確には土岐氏ですね。
多分これは正しいと思います。
なぜかメッチャ自信持ってるのです。だってそうなんだもん。
明智って元は土岐源氏の支流です。本能寺の前のお茶会で時は今(土岐)って光秀
詠んでるでしょ?そこで決心みたいなえがかれ方で。
でですね、今日家康と信長の同盟の最新の学術よんだの。そしたら凄いこと書いてあって。
対等な同盟でまるで義兄弟みたいって言われてるじゃん。
実は違ってってって。本来は領土不可侵同盟で、軍事協力まではなかったって。
足利義昭(将軍ね)の命ということで家康は4度軍事協力はしてて。
それはあくまでも将軍の命という立場の。信長のためとか命令ではなく。
ま、その時点まではとりあえず対等に近くて。
義昭追放後はなんと信長の配下に組み込まれてて。同盟ではなく臣下。家康の領土と思われてた遠見なんかも実は信長の与力が派遣されてて実質は信長領で家康に治めさせてるってかんじなの。
なんで配下と分かるかというとある時期からのぶなが、家康間の書状の形式が変わったのですって。
当時書状の形式って凄くうるさくて。
それがあるときから臣下に対する形式になり、部下から殿にたいする形式となってたのです。
それ読んで浮かんだのが。
やはり天海を使ったイメージ戦略だったなって。
多分当時の武将はみんな信長の配下と認識してたのだと。
それが神君家康になって都合の悪い歴史を改ざんする必要があったわけ。
なぜかと言うと家康に都合の悪いことは消したいわけ。
と天海=光秀説を家康が流した大きな理由がもう一つ。
ヒントは朱子学。家康が江戸幕府というか大名統制、はたまた民衆の統制に使ったのが
朱子学なの。
ま、幕府の学問でそれが幕末までその思想は続くの。その結果、倒幕に使われたりね。
どんな学問かというとさくっと幕府的に言うと下克上は絶対だめ。
目上の人を絶対敬えよって。
さて答えは皆さん考えてね