さてさて密教のお話ですが と言っも私自身小僧さんですので偉そうな話は分からんですが
なんだか仏像がたくさんいらっしゃるじゃないっすか
密教のお寺さんって
例えばダキニ様に祈願のお寺ならダキニ様だけで良くない?と思うじゃないですか
私もそう思ってました
どうやらですね 曼荼羅の世界らしく 例えばたくさん仏様がいて
ダキニ様に祈願したらダキニ様が真ん中のダキニ曼陀羅の世界になって
弁天様なら弁天曼荼羅となる
でですね 私思うにダキニ様だけではなく曼荼羅の世界全体で動く
といいますか
多分ですね たくさんお像がいらっしゃっても どれか一つ欠けたら
全体のバランスが変わるのだと思ったり はい
じゃ、増えたら良くて減ったらあかん?と思いそうですが
多分そういう問題ではない気が
増えたり減ったりすると曼荼羅の形というか少し変わるということで
それは良い悪いではなく違う形になるという感じじゃないっすかね
で拝んでる方がもしかしたら無意識とつながって なんとなく新しくお迎えしようかな~とか
この仏様はだれだれのとこに行くべきかな~と思うものかも
ま、あくまで現時点の私が感じる程度のお話ですが ははは
さてその曼荼羅 実は拝む人間もその世界に入っていかないとなそうで
曼荼羅の絵の中に拝み手が書かれてる曼荼羅もあるそうなのです
へ~と思った というよりもかなりぞぞぞ!!ときた
スゲ~世界だぞっと そんな世界観なんだ 密教はそりゃすごい!!
さてこの仏様は力があるとかあるじゃないですか よくそういう話聞きますが
其のあたりのお話伺ったらですね
どれだけ仏様に深く感応(つながって)仏様の持ってるお力を引き出せるか
が大事というお話も伺って
おお~其れもすごい話だ!!
でもそうなんですよね 結局自分の力なんて仏様の前ではないのと同じで
どれだけ仏様が力を出してもらえるかなんでしょう
あの仏様は力がない 全く効かないではなく
多分こちらの問題なのでしょうね
動いてもらえない何かがあるという 多分そこって凄く大事なのでしょう
仏教の信仰ってあの仏様は力があるからあそこに拝みに行こう
そういうのを繰り返すよりもいかに自分が決めたご本尊様とつながれるように
そっちの方が大事かも
さてレポ