さてさて 今日は易のお勉強会だったのですが 易といっても占いの易ではないやつね
実は半年くらい習っていますが正直今まで結構眠かったのです
いやいや 私にはむづかし杉~
だったのですが なぜか今日突然面白くなったのです
脳が易頭にすこ~しなったのかも
でですね
講義の中で易の思想って凄く儒教的思想が入ってる!!とようやく発見し
質問したのです
儒教に影響されて易経ができたのか若しくは逆かって
も一つようやく気付いたのが 実は易経ってデジタルなのね
中国人ってデジタル発想だったりなのねと
まず最初のお話
どうやら易の解釈に後の人々が儒教的思想を注入していったそうで
始皇帝さんが儒家を虐殺(虐待)してですね
儒教的統治ではなく法家的統治にしようとしたんですな
法治国家として
でその後損が滅んだ後に~というらしいっす
で後ろの方は易の卦って 結構デジタルチックな読み方もするんだな~と
例えば2爻と5爻が応じてれば よし~的な結構デジタルチック
でですね なにを私が思ったかというとですね
中国人ってデジタルチック思考も儒教のようなアナログチック思考も
どっちもできるわけじゃないっすか
そりゃしたたかで 島国日本の他国の方は皆さん素晴らしい人でございますから失礼のないようにおもてなししましょう思考を
奈良時代以降ずっつ続けてきた国は外交で勝てないよな~
そりゃ中国に進出しても大半が失敗して撤退するよな~
と思ったりなのです
さてそこで思ったのがですね 石田三成さんだったのです
この方って今でいう凄くデジタル思考の人だと思うのです
これはこうであるべきですから そこに感情の入る余地などございません
そんな感じで
例えば朝鮮出兵
太閤様が命を下したのですから 皆さん其の命を忠実に守って下さい
一人でもそれを守らないものがいたらそこからほころびますから~
じゃないっすか
でも戦場って机上の論理って通用しない
想像以上の兵に囲まれたり兵糧がなくなって餓死寸前
清正さんや島津の義弘さんのような百戦錬磨の戦上手な方なんかは
命令通りやってたら全滅しちゃう
そら~持ち場だって一度は離れますよ!!命令無視と言われても
その代わり逃げ帰らずに隊を整え結果は出しますよ~
戦場ではこれが正解でしょ!!
こっちだって飢え死に寸前ナンスから!!
ま、普通に考えれば清正さんのおっしゃることが正しいですが
デジタル三成さんにしたら 持ち場を離れる、軍令違反をすることのほうが
重罪なのです
なので三成さんにしたら悪気は一切なく現地の状況を自分が見聞きしたまま
太閤さんに報告
あいつら殿下の命令むししとりましたよと
ま、そら~のちのち恨まれますな 自分は安全なとこで飢えもせずに
チクっただけだろと はい
ま、世の中デジタルもアナログも重要です!!
さても一つ重要なことが 別に易的思考ではないですが
例えば三成さんがデジタル人間では無かったら
もしかして太閤さんに重用されなかったかもしれないんですね~
多分三成さんのデジタル思考 そこに自分の勝手な判断を入れ込まないとこが
信頼されてたんだと
とかくと三成さん 言われたことを忠実に実行するだけのマシーンと
思われそうですが
実はそんなことなく ものすごく優秀
言われたことは忠実に実行しますが そこはお前の判断で任せた!!
そういう場合って誰よりも優れたものを作り上げて持っていける方なのです
島津さんなんかもですね 田舎者で実は太閤検地よくわからずに困ってまして
三成さんが完璧な検地というプロトタイプを作ってあげて大変感謝されてたりですから
三成さんが人情やアナログ的な部分のない人間だったというのは
やはり勝者徳川さんのねつ造っすよね~と思ったり
結局勝者って大義が必要でして
三成がこんなに悪い奴だから我が家康さまが退治して徳川の世を作ったのですという
仮想敵(悪人)というものが どの世にも必要なのです
ま、易的に言うと大義と言う奴がね
ちなみに義と言う漢字は 羊を矛(刃物っちゅうか武器)で美しく切りそろえて生贄として神様にささげるという成り立ちだそうです
ほ~ そう考えると義は我にありというのは 正義という もの
が自分にあるわけではなく
正義という 神様に美しい生贄をささげるという 行為が我にあるということなんですな
ま、神にいけにえを捧げる=正しい行為という意味合いの
そう考えると歴史がおもしろくなる
大義というのは あいつが悪い奴だからやっつけますという名分ではなく
わっるい奴だからやっつけるという正しい行動のことなんすかね?
ま、よくわかりませんが 単なる思い付きです
行動が伴わなければ大義ではないという感じ??