さてな~んとなくペット用のネックレス既成で販売しちゃおっかな~と思う今日この頃です
ま、時期は毎年一回の販売の時かもですが ははは
何となくいい感ん時だなと思ってますので はい
斎藤一人さんが自分を許しましょ~とか言うじゃないですか
それ読んで皆さん
何でも許しちゃえばいいんだ~ 自分に激アマになっちゃえばいいんだ~と思うみたいな
私思うにですね 一人さんが言うのって結構方便的に言ってる気もするんです
浄土真宗の親鸞聖人が南無阿弥陀仏と唱えれば皆さん極楽浄土に行けますよ、
悪いことをした人でさえいけるんだからあなたたちのように普通に暮らしてる人たちなら行けないでか!!
そんな感じといいますか もしかして親鸞さんの布教形式少しいしきもした?
と思うほど
私実家浄土真宗ですが実は教義やら全く知らんのですが ははは
もしかしたら親鸞さんも念仏唱えるだけで誰もが極楽浄土に行けるとは思ってなかったかもしれないじゃん
本とはそこに前提条件やらがあるかもしれないとかね
戒律守ればとか適当に唱えるだけではダメとか
本気で阿弥陀様を信仰して唱えないととか
ま、其のあたりわからんですが 浄土真宗よく知らないので
ただ当時の戦乱の世や庶民の貧しく苦しい生活を目の当たりにしてたら
そういうことができてようやく極楽浄土に行けます
そういう教え方だとさて何人の方がそれを実行できて救われるのでしょう
と考えたかもしれない
ま、私だったらそう考える
実際極楽浄土には行ける方法はあるけどそれは狭いもんなんですよと
本当のことを教えると(本当かどうかはわからん 競技私が全くもって知らないので)
少ない人数の方は本当に極楽に行けるかもですがそれ以外の方たちは極楽に行くという希望すら失うというね
当時ってもう現世は戦ばっかだし貧しいし生きてくのに希望なんか持てない
唯一の希望は死んだ後に極楽で楽して~じゃないっすか
だったらですね 実は教義的には違うのかもだけどハードルを下げて
南無阿弥陀仏と唱えたらだれでも極楽行の電車に乗れますよ~と
乗り鉄大喜び(うちの兄は撮り鉄)にしたほうが多くの方が希望を持てるよね
そんな感じだったかも
じゃ、どっちが正しいかといわれりゃそりゃ分からんが何となく方便だけど
親鸞さんは希望ももてない人たちに少なくとも希望は与えたよね~
それは立派!!という考えもあるじゃん
もしかしたら信者になった方たち死んでみたら戒律や前提条件を守ってないから(教えられてない)極楽浄土に行けないよ~とびっくりかもしれないけど
とりあえず生きてる間の50年くらいは夢も希望もない灰色の人生が希望はもてたよね
どうせ極楽に行けなかったのなら生きてる間に希望持てるほうがいいよね~
なのかもしれないし
(本当に唱えるだけで行けるかもしれないしそこはよく知らん)
私的にはその末法の時代での親鸞さんの教えってええな~と思うのです
はい
でようやく一人さん
この方も実は親鸞さん的な教えの部分もかなりあるかも?と思う
ただですね
凄く一人さんが強いのがですね 信徒と教えと一人さんが一つにつながれるというね
どういう事かといいますと
私はついてるっていうだけで納税日本一になれました~という現実があるじゃないっすか
そうするとその教えを聞いた人が私もそれを言ってると納税日本一は厳しいかもだけど
もうちっと生活がよくなるかもと現実に思えるじゃないですか
空手バカ一代世代の極真門下生が
あそこに書かれてた修行をすれば大山館長のように強くなれると思って
わんさか入門するのと同じように
ということで続きます