末期がんのご家族を持つ方に
奇跡って結構起きますよ
一番はお父さんが現実を受け入れて癌と生活していく
もっというと死をちゃんと受け入れることが大事。
その上で今生きてることの奇跡、生を受けたことの奇跡を感謝すること。
感謝の数が多ければ多いほど奇跡は起きやすくなります。ほら、奇跡って結局神様が起こすじゃん。
ついでに言うと奇跡って中々起こらないから奇跡というのですが
全く起こらないものではないのです 裏を返せば
起こらなかったら奇跡と言わないもん
ガチャでいえば出る確率が同じなら ガチャをする回数増やせば出る可能性は増えるよね
でその神様に起こしてもらう前準備は自分で行うわけ。それは自分で出来る範囲のことでよくて。
末期とか病がひどい方って動いて何かは出来ないじゃん。
だからね、最後に出来て最も尊いことってもしかして感謝なんじゃないかって。
一番最後まで出来ることがもしかして1番大切なことでそれが1番神様に通じて奇跡が起こる可能性が高いんじゃないかって気がします。
自分がその人だったら今書いてるようなことって受け入れれるかわかんないけど。
でもなるたけそういうお話されるのもいいかもです。
少しずつでも考えが変わるとね。
でね、それって最後は自分(患者さん)にかえってくるの。
情けは人のためならずで最後は自分に得があるの。
そこをおしえると(えらそうですまん)自分のためと思えれば出来そうじゃん。
人間の間(肉体があるあいだ)ってどんな立派な人でも見返りがないとって気がするんです。
医学的、栄養的なことはお医者さんやらがやってくれるのでそれ以外にだいじなことですね。
副作用ないし。
父にはやらせましたよ。本人イヤイヤだったけど。最初は。
父は死を受け入れてたけど、
母や私、兄にはまだあんたが必要でまだだれもあなたの死に対する覚悟も心構えも
準備も出来ていない。そんな中で死ぬのはだめ。
あんたの命はじぶんのものと思ってるかもだけどあなたのものじゃなくて家族のものなわけ。
自分のためには生きなくていいから家族のためにまだいきてよって話を真剣にしました。
そしたら奇跡って起こったんですよ。起こしましょう。おきますよ。
でね、同じなくなるでもやれることやってなくなるのと何もしないでなくなるのって残された人の
気持ちって違うわけ。
全てを受け入れながらやることやりましょ。大丈夫ですよ 奇跡って中々起きないけど
案外おきますから
さて師僧がいつも言う言葉で科学と宗教は別のものって
科学で宗教を測ろうというのがそもそも間違ってる
別のものだからって
も一つ 別のものだからこそ医学でどうにもならんものが宗教、信仰で何とかなる場合もあるって
これめっちゃ深いと思うのです
もし宗教も科学と同じフィールドで語って考えたら
医学でさじを投げられたものって神仏でも無理って理屈じゃないですか?
端っから別物でと分けていれば医学では無理でも神仏なら何とかなる場合だってあるかもしれない
いい言葉だなと はい
ま、神仏云々は人それぞれなので 信仰する方はすればいいし信用ならんという方はしなければいい それだけのはなしで
私はブッディストなので当然信仰しますが 彼女にだってそれを強要する気はないです はい
ただ我が家はブッディストなので 当然両親なんかには墓参りや年忌法要はきちんとしろよと強要します はい