さて山伏なんかで行されてる方たちとご一緒する機会もあったりで
その時にいつも思うのがですね ああ、これでは神仏に通じんな
たぶん一方通行にひたすら拝み倒す行者になるのだな、と思うことが多々あるのです
なぜかといいますと 皆さん結構気が利かないから ははは
結構仕事を引退されたくらいのお父さんも多いじゃないですか あとは体育会系とか
見てて気が利かないのです 例えば上座の方のお茶がなくなっても注がなかったりとか
そんなこと?とお思いかもですが 実はめっちゃ大事
気遣いができない=周りの空気が読めない、周りが見えてない なのです
そうするとね 神仏の微妙な機嫌や言葉、感情を読み取れっこないじゃん
神仏ってわかりやすくではなく 微妙~ですから よ~く観察しないとわからんですから
何度もサインや言葉を発しても それを気づかなかったらそりゃあ口閉ざすよね
そうすると神仏がどうしてほしい どう思ってるかを無視の ひたすら拝む 一方通行の
祈祷になっちゃいますよね~
もう山には 何十回も入ってる もう何十年も山あるいてても 声が聞こえないと話される方
多いのですが やっぱなあ~と思っちゃうもん
人格に問題があるわけでなく 周囲に気が利かないのです
ずーっとお坊さんやるより 社会の荒波にもまれ 取引先に泣かされ 上司の顔色伺い
必死で働いてる方のほうが たぶんそっちの道に行くと 早いと思うのです 通じるのが
よくお寺の修行って 掃除とお茶くみじゃないですか それを何年もって
実はめっちゃ大事だと 欧米人にしたら ありえない 仏道修行と全く無関係
虐待よ!!と叫ぶでしょうが とんでもない 石田の三成君のように 相手の状況を見ながら
お茶の温度変えて出したり 大事なのです
掃除だってやってりゃ何のため?とか考えるじゃん 最初はいやいやでも
もしかしたらご本尊のためと思うかもだし もっと賢くなったら お寺に来られる方たちが
気持ちよくお参りいただけるためにとても大事なこと と思うかもだし
まずは気遣いできない人って 神仏に通じんと思うよ~
さてレポ
以前レポ書いた 銀座ホステスさん続報