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信長、秀吉、家康はなぜ天皇を執拗に行幸させたかったのか?

天気がいいので妄想ネタを

以前旧ブログで鉄道で天皇の気を全国に流したと書いたでしょ?

あれですが、まあいろいろと浮かぶのです。

流したのって明治の世ですな、ということはあんま東北には流さなかったのかいな?

そう思ったのです。なので東京~京都か大阪辺りに向かって

鉄道作るみたいなね。

 

ま、経済の発展やら考えりゃそうなんだけど、もしかしたら戊辰戦争の朝敵というのもあったかもしれないな~と

霊的なインチキ臭い見方をすると

まずは東京~関西圏ねって

 

でですね

天皇がどこかへお出かけになることを行幸といいまして

歴史的にもあんまないわけ

 

近世になるまでは あら、陛下って出不精ねと ははは

お出かけになったのが史書に残るくらいで

大抵は上賀茂神社やらの神社仏閣がおもだったようでして

 

これですね 凄く重要かもって

信長も秀吉も必死になって何やったかというと

ついでに家康も

 

天皇を自分のとこに行幸させようとしたのです

安土城や大阪城なんかには御殿や行幸の間なんか作ったりして

天皇は結局安土には行かないし秀吉時は大阪ではなく聚楽第(京都)、

家康時は江戸には行かずに二条城(京都)という感じで

圧倒的権力者を前に結構抵抗してる

 

京都からは出んぞと!!

さてなぜに権力者は天皇をお招きしようとしたか

しかもしつこく

 

今の考えだと律儀な天下人だな~、立派なお城を案内して

接待しようとするなんてと思うでしょ?

 

まるっきり逆!!立派すぎるお城に案内して自分の権力を世間に誇示するため!!

 

おれは天皇だって呼びつけれるんだぞと!!

信長さんなんかは天皇を呼ぶための御殿を天主の麓に作ってるんですから!!

これって凄い失礼なことでして 天皇を見下ろすという位置関係!!

 

未だって皇居を覗ける高さの建物って建てちゃダメじゃんね

皇居周囲って(今は知らんが昭和の世は)

 

今の時代ですらそうなのです 信長ったらね~ やらしい!!

というお話なのですが

なぜに天皇はそこまで外出を嫌ったか?

枕が変わると寝れないのかもしれないですが

 

そこは分からんので置いといて

多分御所から出るのがではなく京都から出るのを嫌っていたのかも?と思うのです

 

なぜかというと 風水でいうとこの大局が変わるからというのかもです

 

寝る場所が変わると太極が変わるというじゃないですか?

東京で寝てる人が出張で名古屋に2日泊まると

大局(自分の住む中心的な感じ)が名古屋に移るという

 

これですね 天皇気にしてたんじゃないかと思うのです

凄く呪術的な話にしちゃうとですね

信長は安土に天皇をお泊まりさせて天皇の太極を京の都から

安土に移して

そのマジカルパワーをいただいちゃおうとしたかもって?

妄想はまだまだ続くので次回に

 

ポイントは昔の都(平城京やらね)中心に太極殿を持ってきてたということ

 

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