陰陽を独学で探求?されてる方から情報交換をとメールいただきました。
面白そうだなって思い返事をしました。
で思ったことが。多分祭りや祭文、形代(御幣)とか地域とか昔のお話とか
資料的に集めてると思うんです。
ま、普通はなんだってそうですよね。民俗学とかでも。
やる側というかうちでやってた側にするとそのアプローチでは陰陽の本質は
分からんと思うんですよ。
何でかってね。
ほら、陰陽って明治初期に禁止されてるじゃん。
政府が土御門の暦の分野をよこせって言ったらやだって言った結果。
(世間的には神仏いがいの怪しい宗教は禁止ってことに表向きなってるが)。
で本家さんは衰退(とされてる)で他は民間へじゃん。
でね、今民間でも本当の陰陽師ってまれじゃん。
喰えないからじゃないんだよね。陰陽が陰陽である所以があって。
そこのとこを実は探求しないと陰陽は視えないよって。どんなものかが。
ほら、学術的には語られてるじゃん。
でも本質はね。ってとこね。
いくら真言やらたくさん知っても見えてこないわけ。本質を知らないと。
ってことでその辺りを。
祓いたもへ 清めたもへって祝詞があるとするでしょ?
多分研究ってそういう真言があって祓いどのかみへの真言でそれを唱える時はこういう印を結んでって感じで調べるというか集めるじゃん。
でもっと見える人だとその祓いのメカニズムまで分かっちゃうかもで。
それが陰陽を学ぶ、研究するってコトとするでしょ?普通は。
でもね、それじゃ分からんわけ。
継ぐ側としての本質が。
その真言が伝わってるとするでしょ?基本は口伝なんだが文章でもあったとして。
でこっからね。
祓いたまえとか、祓いたもへと発音かがまず分からんでしょ?
その真言が伝わってたとしても。
でどういうテンポやトーン、スピードや大きさも分からんじゃん。
その辺がね、実は継いだ人間しだいなわけ。
その資質しだいで。
感応しだいというか。実はその前後に凄い長い文があったとするじゃん。元々は。
で何代目かで凄く力のある人物が現れて俺にはその祓い給えだけで充分ってなったとするじゃん。
そうするとね、その代からそこしか伝わらなくなるわけ。
でその前までは大きい声で早く唱えていたのがその人はささやく声でゆっくり唱えたほうがよいと感じたら次の代にはそう伝えるわけ。
陰陽の本質ってそういうものだから、逆に言うと教科書はあってないようなもので今伝わってるものが最初の形かというと結構違うわけ。
逆に言うとその違うものをいくら集めてもわかんないわけね。
逆にそういうふうに人物によって変わってくものだってのが重要で。
そういう人物が何代も現れないと絶えちゃう訳。それが今の陰陽の衰退の大きな要因であって。
土御門のような本道だと歌舞伎やらと同じで代々その型を受け継いでたと思うんです。
ただそれが何百年も続くと形骸化しちゃうわけ。(土御門はたまに天才的な人物が現れてたりだけど)。
でもっと言っちゃうとね、基本手取り足取りというよりセンスがある人物、天才的な人物が
時々現れて、会得しちゃうって感じなの。
それは習ってないものでも、あ、こんな感じなわけねって。
全くまとまらん文章になっちゃってるんだけど。
でね、これはうちで伝わってたりきいた話じゃなく私があ、そういうことねって分かったんだが。
陰陽で式やら使うでしょ?
たとえば人だったり蛇だったり。
陰陽の式の感覚ね。蛇も人も式を作る時に入れるエネルギーは同じモノなわけ。
えね=生命のもとね。
ただ器が違うだけで。人の形をしたものに入れれば人になり蛇のうつわなら蛇になるって
世界観なわけ。
なので実はわたしもたとえばブレスも式みたいに生き物にするでしょ?
そのときの真言は全部同じなわけ。
でですね、多分じぶんでいうのもあれだけど私もね、案外家系的に中興の祖的なセンスは
多少あるきもね。
祓いの祝詞で私が感応したのがね。
息をながーく小さい声で唱えるわけ。感覚的には凄く遠くまでその言霊をいきわたらせるわけ。
唱えると頭の中で宇宙につながるわけね。上手くいえないが遠くに届かせるの
ながーい呼吸で。
でわたしに子供が出来て伝えるとしたらそう伝えるわけ。
そうするとね、私以前のものと全く変わっちゃうわけ。
陰陽って基本そういう感じでその人物ごとにかわってっちゃうから調べても調べても
実は捕まえれないと思うんですよ。
ほら、密教みたいに体系だってないんです。型というものがあってないものなんです。
実はね。
自分で何かいてるかわからんくなって来ました 笑