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尼将軍北条政子は実朝を溺愛していた

さて電動ママチャリのサスケハナ号が壊れて以来

足がなく大変でした 湘南で自転車がないほど致命的なことはないのです

 

サーフィンもですね 電動なしでくそ重い壊れた自転車で通うため

短いフィッシュなんかを持って行ってました

 

ま、それはそれで楽しいのですが ぐぐっと踏み込んだ時のスピード感たまらん!!

 

ということでようやくニューマシーン(名前はまだない)到着で

早速鎌倉にツーリング

 

行ったのはなぜか寿福寺 ははは

尼将軍北条政子さんのお墓です

 

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山門です そしてこの二人は妻です ははは

さて政子さんのお墓にお参りしてると

ふっと意識の中にお言葉が入り込んできたのです

 

後世の人たちは私を極悪人と評価してるであろうが

私はその都度その都度最善の選択をしてきただけで

 

謀略等を考えていたわけではなかった

 

そんな感じの言葉が

 

多分政子さんなんでしょうね

この方頼朝さん死後 いろいろご活躍され

結局は実家の北条家に権力を持って行き

 

その幕府滅亡まで北条家が実権握ったでしょ?

後世(特に儒学が導入された江戸時代)では

 

 

今はやりの応仁の乱(なぜ?大河でも決まった??)

 

の日野富子とともに3代極悪女(あと一人誰でしたっけ??)

と呼ばれてたりもじゃん

 

政子さんのあまりにお強い姿に最初から源から北条に権力を

とってかわらせようとしたんでは?と疑惑もあるくらい

 

なんだか それはないって言ってますね

鎌倉殿(頼朝)が作り上げた鎌倉の政権を未来永劫維持することが私の役割だった

 

その為にこういう形となったという感じですね

承久の乱の大演説も含め その時その時に謀略なんか考える余裕すらなく

 

ただ必死に対応していたらこうなったという感じで はい

もう一つが

 

この方息子の3代将軍実朝を溺愛してましたね

歌人として文化人として評価は高いが武将としてはダメじゃん

特に都と違い武勇に名高い坂東武者たちからしたら貴族的性格の強いもやしっ子って評価されないじゃん

 

そんなひ弱な息子が心配でかわいくて仕方ないようですね

政子さんって世話焼きでダメ男に尽くしたくなるタイプのようで

 

鎌倉殿の頼朝さんだって 政権取って政権運営が見事だったから評価高いですが

 

それまではダメダメな人じゃん それこそ今の40過ぎくらいまで定職も持たず

平家追討をと再三促されても もうこのままそっとしておいてくださいよ~と言う感じの

 

うだつの上がらん人だったわけで そのくせ愛人作って子供は産んじゃうみたいな

源氏の御曹司という高貴な血統は一目置かれるけど

それ以外は 罪人とし島流しにあってそのくせうだつの上がらん

覇気のない人物というのが 坂東武者の評価でして

 

その当時の頼朝さんに惚れるのって やっぱだめんずに惚れて

世話やきたくなるタイプなんでしょうね

 

もしかして息子実朝に そのあたりの若き日の夫の姿重ね合わせてたかも

 

ちなみに実朝さん歌人として評価高いですが

私の感覚ですと

非業の死を遂げた(暗殺)ことに対する鎮魂の意味も込めて

 

当時の人たちも評価してたかも

武将としては評価できないから だったらこの人の趣味の歌

というものをほめたたえて鎮魂的な

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