さて世の中結構 自分は自分はという自分好き多いです
自撮りやら何やら
ま、いいんだけど
人間ですね あんま自分にばかり意識が行くと病むよと
ははは
何となくそんな気が
大抵意識すると否定的になるようにできてるじゃん
人間って
そうすると 自分にばかり意識が向くと 自分のここが許せない
とかそんな感じになるなあ~
例えば整形モンスターになっちゃうとか
はたまた私なんかどうせダメダメでと
鬱なんかも結構 自分への意識と他人さんへの意識のバランス
崩れてる場合多いもん はい
で自分も許せんし他人も許せんと
私あんまですね 自分探しや自分の内へ内へと
内観的なものやら
自分が本当にやりたかったものは何???
なりたかったものは何???の自分探求ミッション
好きでは無いのです はい
瞑想なんかも ほどほどにがいいかなと
あんま追求しすぎると 精神病みそう 禅病だっけ?
なんかそんなのあったよね
ま、あんま突き詰めない生き方もありじゃないかなと はい
突き詰める方は 今世でそういう風になってるもので
そういいプログラムじゃない方は
まあほどほどがいいかも
あとですね やっぱ他者にも意識向けたがいいよ~
否定ではなく
この人何考えとるんかいね~??
何欲しとるんでっしゃろなと
私思うにですね なにが大事かといいますと
修行でも勉強でもなんでも
行間を読むということ そこがセンスなんだと思うのです
例えばお花でもなんでも師匠さんがお話するとするでしょ?
その話の奥には何が隠れてるんかな~?と
そこの意識の有無で 凄く差が出ると思うのです
音楽でも絵画でもですね 最初はコピーから入るでしょ?
表層のコピーそっくりにできました はいお終い
それはそれでいいですが それだとそっから先はない
例えばその音楽なんかの行間読んでですね
じつはこの人はこう表現したかったのか?
なぜこの表現??時代背景?この人が影響を受けてきたもの?
もしく演奏の癖?
とか思い切り深読みしちゃうのです
それが深読みしすぎで じつはなんもこだわってない部分だったとしても
そうしてくと真似からですね
自分のスタイルというのができて行くわけ
それってめっちゃ大事でしょ?
何となくなのですが
その行間を読む 空気を読むともね
その読む力というのが社会全体で弱まってる気がするのは
私だけ??
やっぱ音読というものが 日本の教育からなくなっていったことに
関係してるのでは?
と実は思ってたりも