年末に同じタイミングでバタバタばたっと3つ祈禱の依頼が来たの依頼が来た
依頼主は3人とも私と結構縁が深いだろうという方
丁度温泉から帰ってきて実家に帰るまでの数日の間のタイミング
縁があるというのはこういう拝めるタイミングに緊急の祈祷の依頼が
入るのでしょう
まずは一人目の緊急祈祷の報告
年末にほんとに申し訳ないです。
友人の次男がスキーで転んで頭をうって意識不明で運ばれました。
今は意識少し戻ったそうなのですが、
今日MRIとって、脳梗塞と脳挫傷で後何日か様子見な状態だそうです。一命は取り留めたのですが
後遺症が残らないといいなと思ってます。
年末年始でほんとに申し訳ないのですが
お時間ある時にでもご祈祷していただけないでしょうか。
ということで早速理趣分で拝んで2日後にこちらのメールが来る
息子さんですか、びっくりすることにみるみる回復して、言語障害もなさそうと連絡ありました。
ほんとにすごいですね。。ジミヘンさんありがとうございます🙇♀️
祈祷というものにはいろんな祈祷がある
闘病平癒や金運向上的な増益と呼ばれるものやら恋愛成就的なもの
祈祷をする人にも得意不得意というものが多分にあり
私の場合は案外闘病平癒的なものは向いてる気がする
ただこれは私が向いているというよりもそれを得意にしている背後の霊的な存在やら神仏様が働いているという方が正しいのかもしれない
案外拝む前にこれは大丈夫だわ~という感覚はある場合が結構ある
(今回も)
中にはこれが原因かな~と感じることもあることはありますが
祈祷の際にそれは追わない
あくまでも私がそう思うということだけで本当にそれが正しいかどうかなんかは分かりっこない
気功の先生的にこの原因に直接的な意識も私はしない
原因もどうやって効かせるか云々というのも私が知る必要は特になく
いわゆる本尊様が知っていればいいと思うのです
祈祷に限らず霊的なことをされる方なんかで神仏(霊的存在)の声が聞こえない(わからない)云々と悩まれてるというお話は結構聞きますが
聞こえない、伝えてこないというのは逆に言えばそのやり方で大丈夫だからという考えだったりする 私の場合
それはあかんぞという場合であれば教えてくれるのでしょう~
ははは
さて拝むということで私がとっても大事というのは結局安寧の心で
心意に拝むということなんじゃないかととっても思う
必死に必死に必死に拝み倒す方もいますが(それが向いてる方もいるのでしょう)
私の場合は拝み倒すというよりも安寧で心意に拝むという方が向いている
拝み倒す=神仏を信じていないから、拝み倒さないと不安だから
だよな~と思ったりするのです
原因も方法も結果も信じ切って安寧に拝むというのはとっても大事なことだと思う私
これは受験やスポーツ、芸事の世界なんかと同じで
普段の行や練習、日常生活に必死こいて
本番は心を落ち着かせて力まずにというのにも通じる心持なんじゃないかとも思いますね~
ちなみに本番で(祈祷の際)必死こけばこくほど本尊様は私を信じてないのね~だったらあんたの力だけでやんな~と
遠ざかっていく私は思ってたりもするのです(師僧の教え)