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先祖の陰陽師事情(一応民間陰陽師だったらしく話も残っとる)

たまには民間陰陽師だった先祖のことを

何度も書き散らしていますが、記憶の書き換えで細かいとこは結構変わってると思いますが

当然最初の頃の内容が正しいと思います!!

 

我が家は祖父方も祖母方もいわゆる大庄屋で尚且つ民間の陰陽道なんかもやっていた

術の血を薄くしてはいかんと言う事で何代に一度ずつ結婚を繰り返すと言うなかなかのろわれた家系

ハハハ

 

場所柄奥三河や鈴鹿山麓にも近く尚且つ都へも出れる結構な要所で色んな方々を宿泊なんかもさせていた

(参勤交代の時の井伊の殿様も泊まったと伝えられてますが普通に考えて殿様ではなく家老クラスか??

 

そんな感じで修験者やお坊さん云々も泊めて世話をする代わりに術なんかも教わったと言うお話もある

実際三河万歳の方々とも交流があり(実は三河漫才は陰陽道ととっても関係深し)

子供の頃、お正月に三河万歳の方々がやってきてやっていた記憶あり

 

またいわゆる道々のものの村でもあり傀儡や鋳物師といった方々とも深い交流があった

(焼き物やら編んだ籠やらと米や現金と交換してあげたり)

子供の頃親戚の年寄りたちの酒の席のホラ話なんかだと、傀儡的な術なんかも昔は使っていたらしい(私的には結構怪しいと思ってる)

 

ホラ話には戦国期には筒井領だったこともあり、筒井家が攻城戦を行うときは従軍して場内の様子を千里眼でのぞいたこともあり、

それに対する感状もあったらしいがそんなものは当然見たこともない!

 

ただ千里眼のコツというものを教えてもらったことは実際にある

ようは頭を遠くに飛ばしてろくろっ首のように首を伸ばしていくというだけの代物ではありますが(現実には意識を遠くに飛ばす)

 

そんなインチキくさいものでもなんとなくこんな感覚かな〜と感覚だけは掴めた気がしたことはある

(当然出来ないですがニュアンス的に)

一応千里眼のトレーニング的なものも何となく伝わってますが正直それをやる気は起きなかった

 

ちなみに輪中の町として知られる三重県の長島町(教科書にも載っとる)

ここには秀吉の陰陽師狩りに遭い都から陰陽師が結構流されてきているのです

当時の陰陽師は土木技術や人足を集めるネットワークを持っており、江戸時代に

島津家が多くの犠牲者を出した木曽三川工事にも携わっているのですが

 

私が20代の頃はその末裔でまだ陰陽師的なことも副業でされてた方々と交流があり

うちの先祖はあんたんとこの先祖に大変世話になっったから恩返しをしないといかんと

よく言われてましたが、山を越えれば距離的にそこまで遠くはないと思うので

金銭的な援助か何かしてたのかもですな

 

江戸期(多分中期から後期)の当主はフラフラっと一週間ほど京都に行って

帰ってきたら太夫を名乗り出したので、土御門からお金で太夫を買ったんじゃないか?

そんな話も残っていますし

幕末〜維新にかけて、全国の陰陽師を土御門が一元支配しようとした時も(免状与えて陰陽師を名乗っていいと認める)

我が家は鳴玄(弓を鳴らして魔を払う)や万歳、(たしか占いもと聞いた覚えがあるけどそこは記憶に自信なし)なんかを禁止という条件があったので

結局土御門の免状をもらっていないので歴史的に言えば正式な陰陽師ではなく

あくまでも民間の勝手に名乗ってる陰陽師だったりするのです

 

次回からは実際にこんな術やら憑き物落としをしてたというお話

(ですが親戚が集まった酒の席で年寄りが自慢げに話してたホラ話なので

どこまで本当か、はたまた全部ホラかはわからん!!田舎の年寄りの話は

8割ホラと思っております)

 

ちなみに土御門家(安倍晴明の子孫)なんかは能の金春流とも深い交流があり(口伝を伝授しあったとも)能の花さか爺さんのお話なんかは陰陽師の話という説もある

我が家も(祖母方)は結構能というものを熱心に行っていたらしく

祖母の兄なんかも自分で能を舞ってなおかつ面まで自作していた

 

祖母方の親せきに言わせると術をやるなら能をやらないかん!!

といっており

当然我が家にも能面というものがいくつかあったのです

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