宗教離れ、お寺消滅の危機と言われて久しい
私のようなコンサルというお仕事&過去にレコ屋という実店舗をやっていた人間からすると様々な思いがある
お寺でなくても町の本屋やCD屋、飲食店がつぶれると案外皆さん残念がる
残念がるけど現実として考えれば
コミュニティの中で生業として成立するほどに必要とされていなかったから
立ち行かないというのが真実
厳しい言い方ですが
さて立ち行かないという場合は基本二つ考えられる
音楽業界(出版も)のように構造的にもう成り立たないのか
もしくはそこのお店の努力不足なのかということ
前者であれば何をやっても無理 業界自体が終わってるのですから
後者であれば可能性はあるよねというお話
さて世の中には兆しというものっがある 不況の兆し、売り上げ減少の兆しというもの
大抵は兆しに気付きながらもまだ大丈夫、大丈夫を繰り返してどうにもならんくなる
ただ私の本音を言ってしまえば兆しが見えてから手を打つという時点で正直手遅れなんです
手を打つなら好調な時期からが鉄則
世の道理として下り坂で始めることって大抵うまくいかんようになってる
そこでうまく行く人って何やっても成功しちゃう人だけなのです
良い時期に次の展開を考える、よい時期に下り坂が来た時のことを考える
これができるかできないかでと~っても変わる
(ま、私のお仕事はどれくらい良い時期が続くか云々を予測するお仕事でもある)
お寺さんなんか見てるとそのあたりの意識や努力が圧倒的に足らんかったんだよな~
良い時期が永遠に続くと思って長いこと胡坐掻いてたよな~
なのでいざ手を打とうとしても何から手を打っていいか
何をすべきかすらわからない状況になってんだろうな~と思う
資金力があるところは文化活動や多角経営をしたりするし
ないとこは万歳しちゃう
多分そんな状況
私が見ててう~んと思うのが結局苦しくなると金額ベースでしか物事を
考えられなくなるのです
毎月いくら収入を上げねば、そのためにはという
お寺やお店の規模が大きくなればその発想にならざるを得ないですが
個人商店レベルのお寺の規模であれば
信徒さん何人作ればという人数ベースの方が断然手は打ちやすい
本来であれば
その人数を集めるのに適した何かを見つけるという発想の方が
現実的に浮かぶし動きやすい
商売の世界で言うとこの首が回らんくなると(資金繰りが苦しくなると)
打つ手打つ手がすべて裏目という状態になる
結局視点がずれちゃうんですよね~ 残念ながら
お寺さんに限らず結構そのあたりがずれてる方っている
犠打なんかを増やして二番セカンドというポジションで生き残るべきなのに
長打ばかり狙ってうまくいかない的な
何を提供できるかよりも私どもに対する需要は何なのかという視点ってと~っても大事なんですよね~
と書いていますが
本音を言えばうまくいくやつって特段色々考えなくてもうまくいく
それだけの話で本来はそういう人間しか自営はすべきではないのですが
ははは
うまくいくやつが軌道に乗せてから経営やら何やらを走りながら覚えていく
起業って本来そう言うもんですからね~
ちなみにコンサル的発想で言えばお寺さんの資産って
長年にわたって培われてきた社会的信用と建物(こちらは実は維持費がと~ってもかかるのでとっても負担になってる)
というなかなか手に入らない大きな武器があるので
上手に有効利用していけばええのにね~と思います
住職さん自身が何か教えれるスキルがなくても
お寺の境内で子供にから手教える、お寺で学習塾の場を提供する云々と
先生呼んで場を提供して地域とつながり作る
塾やらの後は和尚さんが30分くらいありがたい法話なんかしていけば
親御さんが信徒になるかもですもんね
墓じまい云々で困ってる方であれば相談するかもしれないし
ま、あくまでも一つのヒントですが オペラ云々というイベントはあくまでも点でしかないので線につながることを地道に行うのもとっても大事
皆さん大人から狙って即金!!となりがちですが
つんく方式で子供さんに熱心に接して親御さんの信用を得ていくということがと~っても重要(ハロプロ方式)
塾に通わせる親御さんから合格祈願の祈祷だって上がってくるでしょうし
空手であれば子どもの心身健康やらの祈祷だって上がってくると思うのです
皆さん気づいてないだけで実は町や村のお寺さんって使える資産を持ってたりするのです
長年信用で食べてきたのですから、時代に合わせたコミュニティとの新たな信用という形を模索していくのはと~っても重要
ちなみにビジネスを長く続けるためには即結果ではなく
仕込みをきちんとしておくというのが最も重要なことです