最近は信仰というものを考えている 信仰って結局何??
という根本を
学者さんたちが描いたような難しい仏典を知ることか??
仏様を拝むことか??いろんな形があるとは思うのです
な~んとなく思うのが結局仏様の心を知りそれに沿って生きるということなのか?そんな気がしますが
ただ仏様の心というのも考えれば考えるほど難しい
請願に衆生救済ということを説いていますがこの救済ということも
難しい
多分仏様の願いって良い世の中を作ることなのだと思うのですが
さてその良き世の中って??
普通に考えれば平和で差別も格差のない世の中なのでしょうが
アラブの国々のように石油が豊富に産出して、そこから得られる富を
平等に国民に分け与えます
何かとっても夢の国に思えるけど大抵は働かなくなる
競争原理というものを否定すれば人間は必ず堕落する
それは仏様の望む形なのか??
多分結果の平等ではなく参加の平等というものを望んでる気もするのです
誰もが差別なくそれに参加することができるけど
努力や能力の違いによって得られるものが変わる世の中
ただそれが行き過ぎてもよろしくない、ちょうどよい塩梅の世の中
競争原理が働かなければ文明やら何やらの進化は確実に止まりますからね
ただ文明というものも進化し続ければよいのか?という問題もある
もしかしたら環境やら人権やら何やらに配慮というものが大事なのかもですし
ま、そんなことを考えるとなかなか難しいのですが
より良き世界を作るためにどう生きるのが良いか
それを常に意識して生きるという生き方を
望んでいるのかもしれないですね~
多分それは答えの出ないものなのでしょうが答えの出ないものを
常に意識することは大事なのかも 何事も中庸ということは大事なのかも
さてそんなことを最近は考えてたりしますが
本屋さんで気になった本を手に取る
いわゆる錬金術というもの
古来から東西問わず人間たちを夢中にさせた錬金術
普通に考えれば無理だろ!!としか思えないのですが
ふと浮かんだことがあった(というより昔から思っていたこと)
金の総量は増やせないけど金が増えるのと同じような働きは起こせるよな~という
一休さんの頓智のようなお話
さて何故に金が世界中で価値があるかと言えば 簡単に言えばお札や株というものって戦争当事国になったり不況になると
価値がなくなったり目減りしちゃう
金というものは実物資産といって歴史上一度も価値って下がらないものなのです
何故下がらんかはいろんな理由あるので省略
要は金は価値があるから世界中で信用されてる信用資産になっている
私が昔から思っていたのは結局価値というものを作り出せる側になれば
錬金術と似たような効果になるわけよね~ということなのです
当たり前の話ですが
企業なんかも信用という価値を生み出すために日々努力をしていますが
結局一番強いのってこの人が携わったものだからということで
価値をうんじゃうことなのです
有名人の使用したものがドエライ価格で競り落とされるなんてその象徴
結局社会的成功をしたければ価値を作り出す側になるしかないんですね
(自分に価値をつける)
ただいうのは簡単ですが実際それを手に入れるとなるとと~っても難しい
皆さん自分で自分に価値をつけようと努力してますが
外見から派生する価値はつけれても結局それ以外の価値はほとんどつけれない
逆に価値がついてる方ってそこを意図的に努力したというよりも
結果世間がその価値をつけているという場合が圧倒的に多い
さかなクン然り、人間国宝の芸術家さんたち然り
(このレベルになるとその方が手掛けたものはすべて高値が付くので
リアル錬金術師)
ま、一つの道を究めてしまうのが一番まっとうな錬金術なのでしょうが
普通は誰もできない(だからこそ錬金術)
ちなみに錬金術師になっって大事なことは欲をかいてはいけないということ
錬金術だけでなく権力やらお金なんかも持って調子こくと必ず
ドドーンと落とされる
この国ではそうなってるのです 今回サントリーの社長さんが狙い撃ちされましたがやり過ぎたという感はありますし
会社なんかでも創業者ではないワンマン社長ってクーデターに会ったりしますもん
私的には部下や周りの我慢の限度というよりも
日本の神仏様たちが、はらわた煮えくりかえった社員たちを使って
引き起こさせてると感じるのです
私の好きな信長公も実はこのタイプだったような感覚もあり
(光秀神仏につかわれた説)
じゃあ何故に使われた光秀さんは最後あんな悲惨だったかですが
多分そういう役割だったんじゃないかな~
もしかしたら死後はよいとこ行ってるかもしれませんし
そのあたりは分かりっこないですが