世の中に修行というものがある
山に行ったりお堂に籠ったり滝にうたえれたり
お寺さんの修行なんかは基本下座行と言ってお掃除がメイン
それと使用の身の回りのこと
そうそう皆さんが想像するような修行なんて言うものはない
ちなみに私にお弟子さんというものがいて、修行に来たとしても
結局早々やらせることや手伝わさせることなんかないので
お掃除がメインになっちゃうと思う
掃除を通じて心の垢を~云々という言い方をするお寺さんも多そうですが
多分お掃除くらいしかとりあえずやらせることないからな~
という感じも多分にある
ははは
さてそんな修行ですが、たいてい皆さんの目的って霊能やらマジカルな力を開きたい、神仏と感応したいという
ある種の超人願望の場合が多い
まあ人間だもの BYみつを
ですが私なんかが思うに、その目的って低くないか??と思ったりする今日この頃
お掃除や身の回りのお世話といった一見これがどんな意味があるの??
先に通じるの??という修行も含めて
結局修行を通じて何を感じて、最終的には境涯を上げていくということが
一番の目的なんじゃないかと思うのです
超人になって祈祷を効かせたい、霊能を授かって様々な原因を分かりたい
そういう目的が多いですが
私にしたら境涯あげたら勝手に祈祷も上がるやろ~
仏様やらが力貸してくれるようになるもん
そんな感覚なんですね~
もひとつ修行でよく聞く言葉に魔が入る云々という言葉
魔が入ってどえらいことになる云々
これなんか、実は増長した私を粉々に粉砕するという意味合いがとってもあると思うのです
私が入門した当初から師僧が
私は霊感云々は全くない~といっていて
弟子同士でいやいやいや~と話していましたが
その姿勢ってとっても大事だよな~ 結局その境涯って大事だよな~と
今頃になって気づくという情けなさなのですが
結局祈祷やら相談云々なんかも私には霊感があって私の力でやっていると
思ってる限り神仏様は動かない
じゃあお前がやりゃええやん~という感じで後ろに引っ込む
私には霊感やら能力やら何もないので~と境涯の高い方が
謙虚に拝むと動いてくれる
謙虚というのも、どうしても病気を治してください~という以上に
病気を治してくださいというお願いはするけど
その先のことは全部お任せ
治る治らないのジャッジは神仏様
それどころか神仏様が動くべき、動かないべきというジャッジも
すべてお任せという謙虚さがと~っても大事なんだと思うのですね
ま、その中で私なんかに見せたり教えたりする必要があれば
原因等を教えてくれるのでしょうし特に必要がなければそれもない
そんな境涯を高めて高めて高めていく一つの方法論が
修行なんじゃないかとようやく思う今日この頃
さて話戻ってお掃除 やらせることないから理由つけて掃除やらせる~
ですがじゃあ意味はないかというと実はあると思うのです
喜捨という言葉があってと~っても大事なこととされているけど
難しそうな言葉なのでとりあえず置いておいて
私なんか一番大事なことは無償の奉仕だと思ってるのです
お金があればお金を寄付してお金がなければ体を使え的な
ただお金が多少ゆとりがある人の場合って多少の寄付ってそんな難しい話ではないのです
それよりも時間なんかの方が余裕がない
余裕がないものをあえて喜捨することってとっても尊いこと
そういう意味合いの体や時間の喜捨(しかもお寺や神社であれば
神仏様に奉仕なのでありがたいお話でもある アグネスの日本ユニセフなんかより)
もひとつはそういうことをしとるといろんなこと考えたり
分かったりきずいたりするというのもある
ちなみに私が経営の師匠のかばん持ちを通じて一番よかったよな~
学ばせてもらったよな~とおもったのは
結局人様には親切に優しくしないといかんよな~
できれば社会に奉仕して還元せんといかんよな~ということなのです
私のコンサルの根本を作っていただいたので様々な経営上のことなんかも
たくさん学ばせていただきましたが
結局大事なのはそういう技術的なこと以上に
もっと根本的な在り方なんですよね~
そういうことを最終的気づくことが案外修行でと~っても大事なことなんじゃないかと思うのです
すんごい修行してても威張ってたりするやつってどうかと思う