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ペットの闘病平癒の効果のレポートいただきました

ペット君の闘病平癒の祈祷の効果レポートを頂きました

お出ししたのはペット用ネックレスに人型のお守り、祈祷札です

いつもお忙しいところ無理言って
作ってくださり本当にありがとうございます。

先日も報告させていただいた通り
ラブの目の腫瘍はしっかり小さくなり
手術もしなくてよくなりました!

今は目で見てもほとんどわからないくらいに
なっております。

さて祈祷なんかをやってると、これが原因か??と思うことが視えたり

浮かんだりすることは多々ある

そこにフォーカスする方もいるのでしょうが私の場合はそこにフォーカスしない

例えば先祖が苦しんでる姿が~云々ということが原因か?と視えたとする

もしかしたらそれが原因かもしれない場合もあるでしょうし

そうでない場合もあるかもしれない

 

拝み手さんや霊能者がイメージしやすい、認識しやすい形にして

現れてるという場合もあるかもしれない

私なんかは、所詮人間が視える範囲、認識できる範囲なんて言うものは

高々知れてる

因果のすべてなんかが視えるわけでもわかるわけでもないと思っているので

そこの視えた、感じたという部分は実は重要視していない

ああ、視えたのねというだけのお話

達磨さんや、とってもきつい死ぬか生きるかの苦行なんかを何十年もすれば

因果の大部分が分かるという境地に達するかもしれませんが

私的には時間がかかりすぎるし非効率

何十年かけても何一つわからなかったという可能性の方が大きいですからね

多分すべてわかる云々という境地があるとしたら

それは人間を超えてないと無理だと思うのですが

人間が人間を超える姿というのは私的にはいびつで美しくないにすべてが分かると思うのです

人間はあくまでも人間として生きるべき!!

ちなみすべてが分かるという境地はない!!と私は思っております

 

という感じで所詮人間が認識できるものもできることも高々知れてるので

結局祈祷ってどれだけ本尊様を信じて委ねきれるかなんだと思うのです

世の中には様々な行というものがありますよね~

堂に籠ったり山に行ったり云々と

何の目的?と他人様に聞きたくなりますが大抵は能力開発

人間性を高めるうんぬんと言いますが、行で人間性高まるのか??

 

と思わんでもない ははは

私なんかは結局はすべてどれだけ神仏といものの信を強くするためのものだと思うのです

師僧がいつもおっしゃる行者は本尊の前に出たらあかんよというお言葉

結局祈祷やら何やらで俺の力で~と思えば思うほど神仏様って

だったらあんたがやればええがな~と言う感じで引っ込む

力を貸してくれないんですよね

結局行云々というものって日常生活にあるのです

目的が神仏様に対する信を深めるということであれば

 

皆様も神仏様のお札をお祀りしてるとしたら

毎日供物を備えたり真言や祝詞を唱えたりする方もいると思うのです

日々のその行為の積み重ねだって神様仏様への信を深めることにつながるわけですし

日常の言動だって、こんな事したら神仏様嫌がるよな~

これは喜ぶことだよな~と意識してやっていけば心が深まる

結局信仰するってそういうことなんだと思うのです

 

小難しい教義云々以前に

神様、仏様が喜ぶ言動、嫌がらない言動を意識していけば

自然に人間性というものは磨かれていくであろうし

いわゆる戒というものを守ることになっていくのです

 

そうはいっても四六時中神仏様を意識してってなかなか難しい

なので少しずつ少しずつでもええんじゃないかと思います

 

人間って傲慢で強欲なので今世だけで完成させようと強く望んで

叶わないので強く落ち込んだり焦る

私がやろうとすることは今世だけで完成できるようなちんけなもんじゃないから

課題は来世にだって繰越すよ~くらいでもええんじゃないかと思っております

 

 

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