さて京都の阿弥陀が峰にある豊臣秀吉のお墓に行ったときに
とある声が聞こえた(ような)気がしたのです
そしてリーディングは始まったのであった~
(ジミヘンさんも結構基地外なので)
その声の主は名古屋の中村の百姓の子として生まれ
のちに関白まで上り詰めた稀代の英雄、おらが村の太閤秀吉さん
ちなみにこの方指が6本あって、信長公の文字通り犬でもあった
(若いころのお名前が犬千代なので犬と呼ばれてた)
元祖傾奇者前田利家さんが後年天下人になった秀吉公について
殿下は(天下人になるなら)もっと若いころに
指を切り落としとけばよかったのに~と誰かにお話ししてたという記録が残っております
こちらは利家公の鎧のレプリカ
さすがにこれを実際合戦の場で着たとは思いませんが
年を召されて加賀百万石の城主になった後もこんな派手でイカスセンスの持ち主だったのDEATH!!
ちなみに利家公は偉丈夫のと~ってもイケメン 私的には元TOKIOの
長瀬君あたりが演じたらすんげ似合うよな~と思っております!!
ま、秀吉自体も天下人になるなんて夢にも思ってなかったでしょうし
サル顔で指が6本もある男なら猜疑心の強い信長公だってわしを裏切って
天下を取ろうなんて疑いもかけないし都合がええ位におもってたのかも
そんなサル顔殿下が言うには
わしが不幸だったのは人生の老年期まで天下を治めるというビジョンを持っていなかったことなんだわ~
と微妙な名古屋弁で語りかけてくるのでした
さて私が感じることを
この方独立大名ではなく織田信長という多分日本史上で1,2を争う絶対的な権力を持った男の部下だったじゃないですか
人生で信長公を殺害して自分がトップになる
そんなこと考えたこと無かったんです
あの本能寺の変が起こるまでは
ちなみに本能寺の黒幕秀吉説というものは昔からありますが
私的には120%ない!!と思ってましたが
最近思ってるのが黒幕ではないけれど、かなり精度の高い情報で信長公が
襲撃されるという情報を事前に持っていたのでは??と思うのです
秀吉天下取りの第一歩である神速と言われるほどに非常識な進軍速度だった
中国大返し(ルート等いろんな説があり未だもめてる)
船の設計の大家の方が当時の船の移動速度や潮流なんかを科学的に計算して
実は姫路辺りまで武将と武器や装具なんかは船で運んだんじゃない説を発表しましたが、私もとっても説得力がある!!と大納得
今までの説は30キロくらいある鎧を背負ってあの速度の大移動は奇跡的!!
(しかも到着したらすぐ戦)
でしたが、鎧等を船で運べば、何日かマラソンして戻って来た~
という感覚なので兵士の負担もかなり減るわな~現実的!!
そう考えると、信長公襲撃という不測の事態に備えて大量の船の手配はしていた気がするのDEATH
あの用意周到な秀吉公のことですから!!
信長公が光秀に討ちとられ、その敵を取るための準備というよりも
信長公は無事脱出するから、即座に信長公に合流して光秀追討!!
そんな感じだったんじゃないっすかね~と思う今日この頃
ちなみに秀吉公が天下人への第一歩を刻んだ光秀を打った山崎の戦時に
秀吉46歳
人生50年(実際には人間)と謳われた時代の46歳 寿命が50歳という感覚で使われるこの言葉ですが
50歳以上の武将たちって当時も結構いたので寿命というよりも
バリバリと現役で働けるのが50くらいまでで、それを超えたら家督を息子に
譲って隠居~
そんな感覚だと思うので当時の秀吉の年齢は
今でいうと多分定年間際の60歳とか65歳くらいの感覚じゃないかと思います
ご子息に恵まれなかったので本人が最前線で戦っておりますが
本来なら30くらいの息子に家督を譲って、戦場で息子に戦を教えながら戦う
そんなお歳ごろ
その年まで日本という国を治めるプランをもってない人物が
いきなりこの国を治めることとなったら
そりゃあね~
混乱もしますよ
例えば家康さんなんかは一応独立大名でしたから
領国の統治は自分ででしたし
信長、秀吉という見本を見た後でしかも秀吉存命中から
自分が天下を取ったらこういう国づくりをして~
そんな感じで考えてたと思うのです
さてその秀吉さん
天下人になってからは人格が変わったように独裁者になったじゃないですか 非常に冷酷な
人格が変わった?というくらいに
あれですね~
精神病理なんかで語ると精神疾患が~という方もいますが
私の感覚ですと結局信長公の真似という選択肢しかなかった
何だと思うのです
信長公って基本家臣から鬼神のように怖れられてたじゃないですか
ある意味恐怖支配の専制君主スタイル
秀吉さんも基本スタイルはこれでしか天下は収まらんな~
しかも自分はもともとは諸大名と同格、もしくは格下だったわけだから
しかも卑しい身分だで誰もわしをそんけいしやしない
という感じですからだったら恐怖支配しかないわなと
さてその秀吉さんが一番嘆いていたことが
わが豊臣商会には良い人材がいない!!なのです
いやいや、優秀な人材って結構いるのです
三成君なんかは多分大久保さんと並ぶ日本史上1,2を争う
超優秀官僚ですし
清正、福島コンビなんかは当時の日本でも指折りの軍人さん
来年の大河の主人公、弟の大和宰相秀長なんかは内政も軍事もそこそこでき人望もある(今年の大河もみませんが来年は楽しみDEATH)
優秀なナンバー2という感じで
ただその秀長の死が惜しかった!!と嘆いてます
わが社には上杉商店の直江兼続のような男がいない!!
そこが致命傷になったというのです
皆さん大好きな直江ですよ!!
ちなみに秀吉って直江さんを凄く買ってって
30万石で自分の直臣にならんかと何度も誘ってたりね
ちなみに30万石って当時でいえば相撲の番付で小結くらいになるんですよ!!
独立大名ではなく単なる上杉家の家老なのに
それくらい欲しかったのです
続く