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神仏を通じて天を拝む、自然の理を拝む

最近とっても思うことがある

上手いこと説明はできないのですがな~んとなくのニュアンス的なことでも

伝われば

神仏様という方がいらっしゃる

 

最近思うに自然を具現化されたおすがたなんじゃないかという気もするし

そのお姿でどこかに存在してるのかもしれないし、その辺りは分かりませんが

な~んとなく思うのが、飯綱様であれば、

飯綱様を通して自然(木や山や林というよりももしかしたら自然の理)

を拝む

如意輪様であれば天(宇通全体なのかも)、ダキニ様であれば里山的な

キツネが生息してそうな自然、弁天様であれば川や海といった水に関するところ

そんな感じがすんご~くするのです

拝んで自然から力を頂くというようなけっちい発想ではなく

如意輪様を拝んで、如意輪様を通してお経や真言が宇宙に届く

飯綱様を通して自然に届く

お経や真言の中には当然感謝的なものも含まれているでしょうし、自然にとって最も良い状態を保つというお力も含まれているでしょうし

自然の理がバランスよく続いていくというようなものも含まれてるでしょうし

な~んとなくそういうことが大事だな~ととっても思うのです

それらを拝むことで今度はそこに住む者たちに何かしらのいいことが回ってくる(そこに住む生物にとって最適な環境を与えられる)

そんな感じの良い循環というものにつながる気がするのです

読者さんの中にも、お経や真言上げたりしてる方がいるかもしれませんが

 

自分や周りの方々の願望や息災、先祖の供養のためだけだと

な~んかもったいない気もする今日この頃なのです

お経なんかにはせっかくもっと大きく広がった世界(自然や宇宙といった全体)に作用する力があるのですから

自然災害や疫病というものは長いスパンで見れば必ずどこかで起きるようになっている

その被害にあわれた方であれば当然自然を恨むし、神も仏もこの世にはいない!!と思う方だって当然いる(のが普通の感覚だと思う)

宇宙や自然なんかを司っている存在

(もしかしたら理という仕組みなのかも)

なんかは、実は自然災害云々を起こしてそこに住む生き物たちを悲しませたり、つらい思いをさせることに心を痛めてるのかも知れない

 

それでもそれをやらないといけない仕組みなのかもしれない

(それを行わないと全体のバランスが大きく崩れて取り返しのつかないことになるのかも)

その辺りは当然私なんかには分かりっこないのですが

もしそうであれば、そういう方々に対しても供養というものは

大事なのかもな~

すこ~しでもそういう方々の御心が軽くなれば

そんな気もする今日この頃なのですが

イマイチ自分でもよくわかってないので取っ散らかった文章になってますな~

ははは

 

 

 

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