私が以前から絶対怨霊だろう!!と思っている歴史的な事件というのが二つある
一つは長曾我部家の七人みさき(こちらはそのうち記事に)
もう一つは今回取り上げる佐久間信盛追放事件
ちなみにこの事件を怨霊!!と言ってる方はだ~れもいませんが
ははは
佐久間信盛と言ってもピンとこない方が多いと思いますが、
織田信長公の筆頭家老をしていた人です
筆頭家老というのは信長公に次ぐナンバー2の職
新日本プロレスで言えば鬼軍曹山本小鉄であり
背広組で言えば過激な仕掛人新間本部長という新日本プロレスの表と裏を支えた二人を足したような人物
武将としても官吏としての能力も高く、人間的にも素晴らしいとフロイスが書き残してる武将になります
事件的には長年お前に領地を与えていたけど、ろくな働きをせん!!という
信長公の怒りにふれ所領没収~高野山に追放という事件
私的にはかなりのぬれぎぬなのですが
ちなみに信長公は甘い男と書いてますが(ジミヘン説)、もひとつの
性質として、天才によくある情緒不安定で直情型という中々厄介な部分も多々あったと思います
今風に言えば切れどころがわからんというやつ
今の時代に精神科に行けば、何かしらの精神疾患的な病名がつくくらいの気もしますが、
ただ当時の時代性を考えると(武士から農民まで戦に明け暮れ明日死んでもおかしくない状態)
正直皆さん普通の精神状況ではなかったと思うのです
(国民総精神病)
上杉謙信公を筆頭に、当時の武将たちってそろいもそろってお酒好き
酒好きというよりもアル中レベル
以前はスマホもSNSなんかもないし飲むくらいしか楽しみなかったんだろうな~
暖房もないし寒いからと思ってたのですが
多分飲まずにはいられない、普通の精神状態ではやってられない!!
というのが実情だったのかも
信長や信玄、謙信といった大大名なんて安泰だったんだろうな~というのは大間違いで、一寸先は闇
皆様北の将軍様やプーチンさん、ウクライナの将軍様たちのような
お立場(人権なんてものがなかった時代なのでそれ以上に一寸先は闇)
ですから
私の感じる信長公の怖さはもう一つありまして、
多分広島の粗大ごみと呼ばれた竹原チャンプの如く
尾張のうつけものの時代から、周囲の人間の言動には病的なほどに注意深く、癇に障る言動があれば、いつかこの仇を取ってやる!!とばかりに
何十年もそのタイミングを探すような人物であったと感じるのです
佐久間さんが追放された原因の一つは多分これ
どこかのタイミングで信長公の虎の尾を踏んじゃってたと思うのです
知らんうちに
ちなみに病的に見える信長公の性格ですが、実は秀吉公や家康公にも
記録として残されてるので当時は少なからずそういう部分がなければ
生き残れなかったのかもですね~
家康公なんかは人質時代に自分をいじめてた今川家の家臣を
天下人になったのち処罰をして、優しくしてくれた人は恩を返してるので
信長公以上にそういう人だったのかも
ということが背景にあるという前提で水野信元の怨霊説になります
こちらは案外ざっくり書きますが
水野さんの立場というのは家康公の母の兄弟にあたる立場なのです
ちなみに家康と信長の関係性は教科書的には義兄弟に近い同盟相手
やくざ社会で言えば六部四部くらいの関係で杯を交わした兄弟分でしょうか
ただ最近の研究で言えば同盟というのは形だけで実際は完全に信長公の配下
そんな関係の織田家と徳川家の家臣同士
事件的には水野って裏切りやっとるよね~と佐久間さんが嘘をでっちあげて(讒言)信長公にチクって
水野さんは死刑、その後佐久間さんは今の愛知県刈谷市にあった
水野領を与えられるという何とも後味の悪い結果になるわけです
(アジアンフットボールジェネレーション風表現)
そりゃあ水野勝元怨霊になるわな~
佐久間の野郎絶対許さん!!と思うわな~
ちなみに高野山に追放された佐久間親子ですが
高野山ではいじめられて結局熊野に落ちて熊野でなくなったという説が
有力視されてましたが私もこの説に1票DEATH
時の有力者に追放された人物を優遇するというのは
余程深い縁があったり、多額の寄付を行った人物でなければ優遇されなかったと思うのです
優遇したら信長公に睨まれてしまいますから
九度山に追放されたかの真田幸村公でさえ、生活に困って髪も葉も抜け落ちて、兄にお金を無心してたくらいですからね~
ちなみに佐久間本家は、一緒に追放された息子さんの代で途絶えています