あらゆる宗教には教義というもの、教学というものがある(と思う)
当然仏教にもある 頭の良いお坊さんや学者の先生なんかが県境宇してるくらいだからとっても深いものなのだと思うのですが
残念ながら私は良く知らない ははは
いろんな教えなんかが多分たくさんあると思うのですが
結局私が勝手に思ってることは
仏法の世界観で生きるということが信仰として最も大事なことなんじゃないかと思うのです
仏法って何??と聞かれるとよくわからん
ははは
多分我々がわかるような単純なものではないのでしょうし
多分真理的なものなのでシンプルなものなのでしょう
現生利益もお経も観音様も弁天様も多分すべて仏法の世界の中にいて
いろんな形をとって興味の対象というものを広くして~
そんな方便を取って仏法というものの入り口を広げているのかもしれないし
そうじゃないかもしれない
仏法=釈迦の教えなのかもしれないし、釈迦の教えを基にした世界観
かもしれないし、釈迦が感じ取った世界観かもしれないし
正直分かりませんし知りません
ま、普通に考えたらお釈迦さまってドエライ昔の方なので
お釈迦様オンリーの教えというよりも、お釈迦様の教えに
その時代その時代の立派なお坊さんたちが会得したり感じ取ったものが
入ってできたハイブリットなものという気はします
ちなみに私が勝手に思ってる仏法のイメージって
多分人を豊かにして国を豊かにする教えなんじゃないかと思うのです
仏教というものが国に入って来た経緯や時代なんかを考えると
やはり仏教というものによって飢饉や疫病云々といった当時の国家の存亡にかかわるものへの対策だったと思うのです
いわゆる国家鎮護的な
それプラス時の為政者(天皇様)のご慈悲で民が豊かに暮らせるように~
そんな慈悲の思いをかなえる教えだったんだと思います
(あくまでも私の創造的妄想的願望)
世の中には様々な宗教というものがあり、たっくさん信仰をしている方もいる
○○教を信仰してます~と言いながらもとっても嫌な人もたくさんいる
人様やお国に迷惑かける人も多分いる
私的には、法というものを信仰していないのだな~
法の世界に入っていないのだな~と思ったりもする場合もある
法というものは私的には先ほど書いたように人や国家を豊かに
するものなのですからね~
ははは
ちなみに仏法とは??ですがはっきり言ってわかりません
多分本当の仏法というものは研究されてる方々もわからないのでは?
高度になれば丸ほど、様々な解釈ができるようになってるのです
物事って
なのでいろんな学説がたっくさん出てるんだと思うのです
山の頂上は同じでもそのルートが何百、何千とあるみたいな感じで
多分そのルートを試行錯誤しながら探すという行為がとっても重要なんでしょうね~
頂上に到達すること以上に(いわゆる悟ということよりも)
その頂上は案外シンプルな気がしますよね
真理って実はとってもシンプルだけど様々な解釈ができるから
様々な宗派や学説ができていく
そんな気がします
案外その真理って人様に慈悲をもって接しろよ~
そんな道徳的なものなのかもしれんですね~
人様への慈悲が広がって国家への慈悲につながってより良いお国になっていく
そんな気がせんでもないですし、それはあくまでも頂の一つなのかもしれないですし、途中の風景かもしれませんが
まあそれはそれでええんじゃないか??と思う今日この頃DEATH
お釈迦様をはじめ、時代時代の大天才たちが作った仏法なんか
我々のような愚夫愚民が生きてる間にすべて理解なんかできっこないのでしょうな
悟ったと思っても
その先にはもっとすんごい悟りというものがあるんだろうな~
ということがな~んとなくぼんやりと思えるだけでもええんじゃないか??