霊的な修法や技法というものが世の中にはたくさんある
いわゆる霊媒的なもの イタコさんや寄り加持みたいなものから
託宣、今風で追えばチャネリングやヒプノ、こっくりこっくりさんも
私なんか思うに、本来はやはり二人一組がええよな~と思う
霊媒の状態をきちんと把握しながら、何言ってるか精査しながらという
審神者と霊媒方式が
何故って簡単
霊媒状態になるといいもの悪いもの含めていろんなものが寄りやすい状態になりますから
それに素晴らしいものよりも低級霊の類の方が寄りやすい
何故って簡単 高級霊さんよりも低級霊の方が圧倒的に多いし、
やはり寄るものってその人の境涯に合ったものが寄りやすい
皆様や私のような境涯のどえらい低いものは、愛の塊のようなどえらい立派な方や宇宙の創造主なんかよりも
生前、女房をひっぱたいてお金をせびって酒ばかり飲んでた
そこいらのおとっつぁんや、いくらトイレを教えても部屋中に
粗相をしまくってたワンちゃん達の方が寄りやすい
なかにはもっとワル知恵で、私はこんな素晴らしい愛の塊なんです~
と素晴らしい存在のように寄ってくる詐欺師のようなものとか
この世も、素晴らしいことや絶対もうかりますという美味しいこと言うのは詐欺師ですし、
アメリカなんかだと詐欺師になるなら超一流ビジネスマンのようにビシッとした格好しろよ~というじゃないっすか
霊も同じ ははは
さてそこで密教の修法 私が一番ビックらこいたのは結界というものを何重何重にも張ることなんです
密教の場合まずは護身法で身を浄めて道場の前でもまた三業清めたり
過去性やらの業浄めたりしたあとに道場に結界張って
またまた重結界というもの張って云々とやたらと浄めと結界張るんですな~
念誦というひたすら真言を唱えることがやはり肝でして
真言自体にもやはり力もありますし、そこでやはりトランス状態になりやすいのです
ひたすら真言を唱えてるわけですから
仏教なんかだと瞑想なんかで神秘体験すると魔境!!といういい方よくするじゃないっすか
トランス状態って魔も寄りやすいじゃないっすか~
魔=境涯によってという意味合いもなのでひたすら時間軸上の自分の三業(身、口、意)を清めることで
なるたけ魔や不浄なんかが寄らないように何重にも結界張ることで
不浄や魔が入り込まないように とても徹底してるな~と思ったのですな
特に一番最初に感心したのが懺悔文というもの
多分どの宗派でもお経読むときに一番最初に唱えると思うのですが
現在、過去に犯したすべての業を懺悔します~ 自分が認識できないくらいの過去性やなんなら私じゃないんだけど。いわっゆる人類というものが犯してきた業まで懺悔しちゃいます~
そんなもの
ああ、凄いな~この発想はと 私なんかは時間は未来から過去にも流れてると思うのでまだ積んでいない未来の業まで懺悔~と思いながらですが
やはり懺悔文は大事だな~とすごく思うのです
宗教的に言えば懺悔なくして前には進歩はない的な感覚
話はどえらい長くなりましたが、昨今のスピってそのあたりの
魔境に対する備えがちょっと弱いよな~ チャネリングなんかも
きちんと結界やら張ってなるたけ魔が入らないようにしてなおかつ
誰かが審神者しながらがええだろうな~と思ったりなのです
修験なんかは、山なんか、お経なんかにも魔が寄りやすくなるから
魔が寄らないようにお経も早く読まなきゃね~という世界じゃないっすか
お経ですら魔が寄るという認識なのでなにもしてないとこで
トランスになったら魔もよるわな~
私の感覚ってトランス=自分を明け渡してる状態なんすよ
フルトランスなんて状態はまずまずないでしょうが
皆様アロマなんかで部屋を浄化してから行ってると思いますが
(それで浄化できてるかは置いといて)
浄化=結界ではないわけでいくら浄化しても魔は入るのです
だって結界張ってるわけじゃないっすから
と思ったり
多分現在のヒプノにしろチャネリング(はいまいちしらんけど)
なんかにしろ技術的にはどえらい高そうじゃないですか
精神生理学うんぬんなんかも応用してそうですし
その状態に行く技術というのはどえらい高くても、もしかしたら
プロテクトという技術の方はそこまで重要視されていないかもな~