先日ふとした瞬間にクレオパトラさんの背後に黒いドーベルマンのような犬のようなものを感じました
(ドーベルマン夫婦)
犬なのか犬の姿をした神や精霊なのかは分かりませんが
日本ではあまり眷属や背後として見られない方なのでちょっとびっくり
当時の日本には当然ドーベルマンのような姿の生物がいなかったのでしょう
そう考えると国や地域、宗教(というよりも信仰)なんかで
国によって働いてる神や精霊ってやはり違う
皆さん大好きな龍神様だって、日本や中国をはじめとする
アジア圏なんかはドラゴンというよりもやはり龍、もしくは竜なんだと思うのです
西洋なんかはやはりドラゴンで
どえらい太古で、まだ神の世界や霊の世界の生態系(変な言い方)
なんかが整っていない混沌とした時代であれば
いわゆる外来種的に、他地域の精霊なんかが定着するということも
当然あるでしょうが
生態系がきちんと整ったのちは、中々入り込めないんじゃないかな~
ちなみに生態系というのは
もしかして人間なんかが、いわゆる信仰というのをもって、それが
徐々に徐々に体系たっていけば行くほど整っていった
そんな感覚もありますね
ついでに外来の精霊たちも、やはり動物なんかと同じで
その地域にやってきたら、その地域の環境に合わせて性質なんかを
変化させていったものだけが定着できた
そんな気がすごくする
大黒様やダキニ様だって、インドと日本ってやはり性質はかなり違う
日本という風土なんかだと
プリミティブで凶暴性のある性質というのは風土に合わないのかも
皆さんなんだかんだでソフトで穏やかになっている印象が
あるじゃないですか
その辺りはやはり日本は古来から和というものを最優先する
人種
もしくはそういう性質の人種をはぐくむ風土というものが
あるのかもしれないですね
そんな感じの日本の風土で考えると、やはり日本で活動するなら
やりすぎというのはよろしくないのかも
いわゆる過剰というものは
一時はとても大成功を収めたとしても、一代で終わってしまったり
不幸な晩年迎える場合が多いのかも
日本の国土で最重要なものが和というものと書きましたが
もしかしたら過剰にやりすぎると
大きく失敗や惨殺的な非業の最期を迎えなかったとしても
日本という国土で、もっとも気の毒な孤独な晩年というものを
迎えがちなのかもしれないですね~
我々も気をつけねばですよおおおお!!
ちなみに過剰ややりすぎはだめよと書きましたが
世の中成功するにはやはり人が誰もやってないことをしないとということがとうぜんある
ちなみに皆さん勘違いするのは、だれもやってないこと=成功
そんな認識があるのです
誰もやっていない人がついてくること=成功なんですね
人がそれみてどう思うか、そこが重要なのです
ちなみにもっと大事なことがありまして
やり始めたことはだれもやってなくて、世間も、あ!!!っと驚くことですが、後年、それがスタンダードになっている
それがないと結局成功しないのです
織田信長以外にも斬新な発想をした方々ってたくさんいますが
信長の何がすごいかって、斬新な発想が、後年にはスタンダードに
なったことなのです
鉄砲の大量使用や、壮麗な天主閣、目的のために本拠地を常に移動
数々の経済政策、そして今まで誰も発想しなかった上洛して
天下を治める
後には全部スタンダードになってるんですね~
ただ最後は非業の死ですが
色んな要因は当然ありますが、最近思う要因の一つに
これだけの大変革に、部下たちの気持ちが追い付かなかった
プレッシャーになったというのも、あんがい本能寺の遠因になったかも
鎌倉殿でよく描けてるな~と思うのが
鎌倉ののちの御家って頼朝に従わないじゃないっすか
一応主従関係ですが
戦国の世も往々にしてあるわな~ 自分の直属の部下ならまだしも
近隣の豪族たちなんかは、今は旗下になってるけど何かあったら離散しちゃうし、いうことも聞かないし
そんな奴らをどう従わせるか、武将たちの悩みの種だったのでしょう
今も昔も上司も辛い
ちなみに日本史では天皇を超えようとすると非業の死を迎えるという法則がある
一休さんの足利義満さんしかり、私の好きな信長公しかり
そう考えると日本の国で、天皇をないがしろにしたり、天皇制に反対するということは日本の神様を敵に回して、運は上がんないのでしょうな
(大抵そっち系の運動される方ってあんま幸せには感じないお顔してる場合が多い)