最近城と宗教、呪術というものがある
これがとても面白い
戦国武将たちは我々が想像していた以上に神仏の力を頼っていたし
呪術的なものへの関心が高かった
一般的な信長像である、信長=無神論説なんかも、城を見てくと
否定できちゃう(以前から書いてるように私的には
信長=信心深い説)
実は信長の居城というものがすべて宗教的な場所に建てられていたのです
小牧長久手の合戦で有名になった小牧山城は元々間々観音という
観音様が出現した聖地であり
岐阜城は伊奈波神社があった場所で、山上には山上権現が祀られていた
天主の目の前にある大きな岩が磐座(神が降臨するとされる場所)
安土城は本丸を作った場所は元々薬師山と呼ばれており
薬師信仰の霊場だったそうなんです
ちなみに私が最も好きなお城は当然安土城
未だに安土城がどんな城だったかという確証がないというまさに幻の名城
復元案もたくさん出ています
私的にはやはり、子供の頃から安土城と言えば内藤博士というイメージですので
内藤案がなじみ深いですが
最近では宮下説が有力で、復元案なんか載ってる本なんかは
宮下安土城のイラストが結構使われたり、プラモデルも宮下説のものが
出ています(佐藤案も結構有力視されてますな)
信長さんって代名詞である安土城の全貌も、鉄を張った大型船の
鉄甲船も、桶狭間の奇襲も長篠の戦の鉄砲三弾撃ちも
実はすべて全容どころか謎ばかりじゃないですか
それこそ本能寺の編の真相どころか信長の遺体すら見つかっていないし
これほど有名な人物で謎だらけの人物って珍しい
実は常日頃から呪術なんかで自分の死後は遺体を隠せとか
その手のことをさせてたんじゃないかとさえ思っちゃいますね
大型船も長篠の戦いの火縄銃の大量投入も、安土城も
今までの日本人って誰一人見たことのない革新的なものなのに
確証とするような記録がないって不思議すぎ!!
当時日本で最も権力を持っていた人間だから、部下の数も誰よりも多く
記録だって多いはずなのに
さて私の持説の大阪城=信長がほぼほぼ案を作り終えてて
あとは建てるだけだった説ですが
こう考えるととても信ぴょう性があるんですね~
以前は大阪城の築城のスタートが1583年で、信長が本能寺で倒れて
1年もたたないうちからスタートというのは普通にあり得ない
当時はまだ秀吉は天下人になっていませんでしたし(小牧長久手の戦いの前、もしかしたら賤ケ岳の前から計画となってるのかも)
そう考えると、信長が存命中に安土のつぎは大阪城に本拠を移すと
計画をしてて、のちに天下人となった秀吉が、自分の案にしちゃった
そんな感じで思ってましたが
信長=信心深い説で考えると
大阪城って元々は石山本願寺という一向宗の本拠地
宗教施設だったんですよね
確かに天然の要害でなおかつ大阪湾にも近く交易にも守りにも適した
場所ではありますが
当時日本で最も力を持っていた一向宗の本拠に城を建てる
その目的もあった気がするのです
そうかんがえるとやはり大阪城は信長案だったんだろうな~と思えてならない
さてもひとつ興味深いのが甲斐の武田信玄
この方、人は石垣~とか言ってそこまでお城にこだわるイメージじゃないのですが
実は甲陽軍鑑という武田家の軍学書にかなり興味深い記述があるのです
ちなみに一昔前まではこちらの軍学書は、江戸時代あたりに作られた
偽書説が根強かったですが
最近は再評価の機運が高い書です
お城と言えば陰陽道なんかの影響で四神相応の地ということが
重視されてますが
この書にも、信玄の言葉でそれに近いことが書かれていたんです
続く