私の好きな加藤清正さんと福島正則さんの豊富家譜代の両巨頭
どうする家康の家康が警戒していたのは
やはり加藤の清正さん
他の大名に影響があったのは実は福島の正則さん
その両巨頭、格も同じというイメージですが
当時のイメージとしては秀吉子飼いの筆頭は福島正則で
清正はその下というイメージかと思います
パンクラスでいえば船木が福島、鈴木が清正
全日でいえばジャンボが福島、天龍が清正
そんな感覚なのです
流石ヨタ校時代の横浜高校出身だけあって悪い顔しとる!!
清正さんは福島さんを諌めたり補佐したりというイメージで天龍革命児であれば清正さんは阿修羅原
維新軍であれば気合いだ!!の浜口京子パパ
こちらは気合いだー!!ではなく私の好きな
わっはっは わっはっは わっはっはのワルツを踊れ
BYニックボックウインクルのアニマルさん(当然3/4拍子)
なので関が原の論功賞でも福島正則には思い切り気を使ってるじゃないですか?
いちばんの評価が福島さんと黒田長政
黒田さんの評価は福島正則を党軍に迎え入れる
工作が成功したからなのDEATH
ただ家康の中では福島は組みやすし!といいますか
なんだかんだで挑発すれば自滅するだろうと思って感じと~ってもします
ですが福島正則さん、周囲の思惑とは実は違い
名将であり結構賢い方だったのです
結局だましうち的な言いがかりでの改易しかできなかったわけなのです
さて清正さん、この方は関が原以降一番警戒されてましたね
武だけでなく智もありかつ人徳もありましたから
ちなみに私の実家のお近くが清正公の生誕地という
おらが村のスーパースター!!
それ以上に厄介なのは当時の最先端の科学技術、築城のスペシャリスト
藤堂さんか加藤清正かというほどの(私的にはやっぱ加藤)
しかもこの方当時の最先端技術石垣のスペシャリスト
これほど厄介なことってないですよね
当然熊本城の縄張りなんかはトップシークレットですが
徳川家だって全国の情報網でどれだけ熊本城が落とせない城かと
分かってるじゃないですか?
最悪のシナリオだって現実主義者の家康は考えてたと思います
秀頼を熊本城に迎えて戦上手の清正が堅固な熊本城に篭城する
日和見な西国大名がもし手を組んだら
島津なんてもっとも怪しいですし、幕末維新の如く薩長が手を結んで
熊本城に立て籠もる秀頼方についたらえらいことになる
関ケ原と違って九州くんだりまで戦に行ったら、江戸城を油断ならない政宗あたりが襲撃するかもしれない
そりゃあ厄介!!
しかも大坂城を落とすのにもっとも効果的だった射程距離の長い大砲だって
この当時手に入ってたかどうか分からんしね
それは脅威ですよね
どうしたって加藤清正は邪魔であるし
熊本城は絶対に取り上げたいじゃないですか?と思ってたと思います
しかも清正は絶対挑発には乗らないだろうし
かといって些細なミスで取り潰しなんてことはしない男じゃないですか
そりゃあ二条城の会見は千載一遇のチャンスですよね
毒殺の
清正もそんなことは百も承知だったでしょう
歴史にIFはないですが
もしあればこの時点で浅野、加藤、福島の豊臣恩顧の武将が
秀頼を熊本城に迎えて徳川と戦ったら面白かっただろうなと思うのです
浪人中の立花宗茂(仕官してます?旗本で?)や島津あたりも加わって
この面子であれば
後の大坂城の奉行衆も戦略にまったく口出しできないと思うので
近代軍備の西郷軍でさえ落とせなかった熊本城を当代きっての戦上手たちが守る
攻めるは攻城戦が苦手な家康で
大坂冬の陣を終結に導いた南蛮渡来の大砲はまだなく
大砲は射程距離が短く城まで届かない
メッチャみたいです
ま、現実は清正存命中でも秀頼を
二条城謁見同様 われらが絶対に秀頼様をお守りいたしますといって
ちなみに家康さんが天下人となって考えたことは
日本をガラパゴス化してしまえだったのです
この危機管理は正直度肝を抜かれた発想でした
そのおかげで250年もの長きにわたって幕府が続いたんですよね
すげえ!!
そのうち家康の日本ガラパゴス計画記事にします