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藤沢遊郭と弁天様の慈悲 大山詣でと江の島詣ではワンセット

子育てしやすい街ナンバーワン(と市役所に書いてあった)

我が街藤沢には、藤沢宿と言う東海道の宿場がある

 

宿場としての規模はそれほどでもなかったそうですが、相模国の宿場としてはまあそこそこ位の規模

 

江戸時代には大山詣でと言うものが爆発的にはやって、

大山詣でとセットで江の島詣でと言うものも流行った

 

元々は富士詣と言う、富士山に登って木花之佐久夜毘売にご挨拶と言うものが流行っており、大山の方々が、富士山の翌年に大山阿夫利神社に

参拝するとどえらいご利益があるよ~という感じで大山詣でを

流行らせて、のちに、富士山まで行くのはお金も体もしんどいでしょ~

 

だったらおんなじ女神さまと言うことで江の島とセットがあるでよ~

という感じで大山詣でと江の島詣でがセットになったらしい

 

そのセットの中心が藤沢宿

近くには遊行念仏の総本山、遊行寺もあったりで見どころもあるので

規模は小さいながらもなかなかの賑わいを見せた藤沢宿

 

大山詣での帰りには、博打を楽しみ、江の島詣での帰りには

遊女と遊ぶのが定番で、息抜きとしても大いににぎわった

 

さてそんな藤沢宿の遊女たちですが

最盛期には遊女宿が70軒もあったそうでかなりの規模

 

近隣の鎌倉、茅ヶ崎、辻堂、大磯あたりから売られてきたそうで

この辺りって海沿いの地域で塩害の関係もあり

米作に向かなかった

いわゆる貧しい地域だったので、売られていく際の契約内容も

足元を見られ、それはそれはひどい内容だったらしい

 

売られた先の生活もかなりきつかったらしく、食事も栄養価がなく貧しく、当然契約内容も過酷で

 

吉原と比べると、平均寿命が1歳以上短かったらしい

(ただ中には情に厚い宿の主人もいて、

近隣のお寺に墓石を建てて供養していた方もいて、

その40石以上ある墓石から割り出した平均寿命ですが)

 

ちなみに私の趣味の一つ(てかライフワーク)に旧遊郭めぐりがありまして、藤沢宿を散策してると、

ある方が、お参りに来い~と言うので行ってきました(統失まっしぐら!!)

 

行った先は当然江ノ島

 

声の主は当然弁天様!!

こちらの裸の弁天様ではなく鎌倉殿の頼朝公が奥州征討のために

作ったこちらの先勝祈願の弁天様

 

当然お金を払って宝物館にてお参りをする

 

江戸時代に流行った江の島詣でと言うのは、大山の神社関係の方々が

セットではやらせてはいるが、私の意思が入っとるんだぞ~

 

藤沢の宿で働く遊女たち、彼女たちは江の島詣でが盛んにならずに

藤沢に遊女宿が出来なかったとしても

 

他の所に売られていただろ こればかりはどうにもならないこと

そうなった場合、故郷から当然離れたとこに売られていくことになる

 

それだったら私の手元でと言うことなんだぞ~

そんなことをおっしゃる

 

江の島の弁天様の遊女たちへの慈悲!!

確かに遊郭には弁天様が祀られている

 

大抵は遊郭とセットに勧請されることが多いので

初めから弁天様がいらっしゃる場所の方がより救われる気がします

 

ちなみに遊郭に弁天様と言うのは防火の意味合いも強いとのこと

吉原も我が街中村遊郭にも、大門と言う地名が残ってるように

 

遊郭の出入り口って夜になると、遊女たちが脱走しないように

大きな門を閉じていた

そのため、吉原をはじめ遊郭では度々火事が起き、その都度逃げ出せない遊女たちが数多く死んでいますからね

 

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