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鈴鹿山系と道々のものと陰陽師

以前コメで越前秦氏が住友財閥の元だった~ってコメントがあってかなり鳥肌がたちました(鳥肌実先生)

ふっと浮かんだのが秦氏って技術と呪術で財力作り上げた

そしてここの家は当然星ですね

 

星を使った呪術、ちなみにもひとつは以前も書いた渦を使った呪術なのです

 

そこはやはり渡来系の家です

ちなみに私的には古代の氏族で河内周辺に地縁のある氏族ってどう考えても呪術にたけてるイメージしかないのです

ついでに星関係にもたけてる!!

 

ちなみにうちの田舎なんかだと実はあそこは狗神筋で~というような

そんなはなしありますし

我が家もそんな呪術はね、やってましたわな~ははは

 

特に祖母方が

その甲斐あって祖母の兄弟というのが皆さん社会的に大成功収めてたりでこの成功はちょっと普通じゃないだろ!!

しかも祖母以外が皆さんというのはと思います

田舎あるあるですわ!!

 

さて狗神というと山陰や四国のイメージですが案外近江の山の中も

盛んだったのです

 

そしてですね、実はうちは近江でもかなり鈴鹿寄りでして

鈴鹿というとこも呪術的には独特なものを感じるのです

 

密教でも陰陽でもなくかといって修験でもなくじゃあなんだよ?

と聞かれると困りますが

土着の呪術を(山の民やら道々のものなんかの)そこに土地柄密教や陰陽が入ってきたという感じなのです

 

その匂いがまた播磨の法師陰陽とも違ってまして中々不思議なのです

(といっても鈴鹿の呪術を知ってるわけではないですが、以前鈴鹿で代々呪術やってた家の方と知り合った時の内容なんかも)

 

あちらは法師が陰陽取り入れました~とすると 鈴鹿とかその辺は山の民が修験やら陰陽やら密教も取り入れたという感じなわけなのです

 

ちなみに我が家も民間の陰陽~と書いてますが正直ごっちゃです

正確には何でもありの土着の拝み屋さんで陰陽の術色が強いのかもという感じなのです

 

ちなみに私がブレスなんかを開眼する方法なのですが、師僧にどうやってるの?といわれてこんな感じです~と見せたら

ああ、それは真言密教式の~だね~と言われました

 

そんな感じで何でもありなのです ははは

我が家なんかは昔は大庄屋さんで修験者や密教関係、拝み屋さん、

いわゆる道々のものと言われた傀儡や鋳物師なんかも家に泊めたりお世話してたそうなので

(ちなみにお隣の村はいわゆる山の民の村)

そのお礼にその手の術なんかを教えてもらったりしてたらしいです

ちなみに河内あたりの楠木さんなんかも~そんな感じですが

多分地域の顔的な存在だったのでいわゆる怪しいという

定住しないような方たちや呪術なんかを使う方たちを

たくさんお世話して呪術や情報というネットイワークを持ってたのでしょう

 

あちらはもっと都臭いといいますか洗練といいますかそんな感じはあります

南朝もついてたことですし匂い的に宮中文化の薫りのする そんな感覚

平安の香りがしないのです(地域的にもとっても星臭い)

 

影響いわゆる楠木党と呼ばれる方たちって密教や陰陽の影響にしても

平安期の呪術というより当時の最先端の呪術というイメージで洗練されてるイメージはあります

 

 

そういえば江戸後半あたりに

土御門が陰陽道を一元支配するため認可制にしましたがうちの田舎のあたりはうちも含め認可受けたとこ聞いたことないのです

え帽子もつけてたって聞いてないし

コロナ前に法事でお寺行ってきましたが

輿がなくなってまして

どっかに預けたって言ってました

父や兄なんかはなんでこんな田舎の寺にやんごとなき人が乗るような輿があるか不思議がってましたが

そんなの簡単陰陽道的に輿に乗ってありするのです ははは

いやいや、父も兄も教養がなさすぎ!!

という話でそれもそのうち

 

ちなみに、我が家やの地元なんかは、やはりとても閉じられた限界集落なのでとても閉鎖的

なおかつ狗神筋云々というタブーもあり結構その手のお話って

よそ者には話してくれないですし

 

なおかつ我が家は戦後まで一帯を治める大庄屋で

戦後の小作解放令で小作さんたちに土地を持っていかれたので

小作さんの子孫の方たちもやはり昔のことって話したがらないんですよね~

 

おばあちゃんが元気なころなんかに、もっと話を聞いておけばよかったな~ととても思います

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