先日とある繁華街に行ってきましたが、その甲斐あって体中が痛い
いつものように左の片頭痛に左目の奥、左の奥歯がと~っても痛く
肩~腰までががちがちに張って関節は熱が出た時のような痛さと
悪寒、そして指の浮腫で関節曲げるのが痛い
そんな感じのお決まりの辛さ
人が集まる土地ってやはり当然の如く霊も集まりますからね~
仕方ない
ちなみにコロナの症状ではなく、私の場合元が低体温症ですが、
悪寒の原因は体温35,2分になってるからなのです
霊がつくと体が冷えるじゃないっすか
ま、一日二日で離れていくと思うのでそれまで我慢です
昨日は久々にこちらに~
さて今朝神棚にお供えして祝詞奏上してたらとあることを言うのです
お前ら人間は本当は御神徳なんてものを信じていないだろ?
御神徳というのはお前らの信の深さに応じた感応をするものだぞ~
ドキッとしちゃいました
皆さん、あっちの神社に行って効かなければこっちで祈祷する
そんな繰り返しじゃないっすか
それに祈祷受ける時だって本気度120パーセントで受けてないっすよね~
そこまで信じ切って
もしくは必死に結婚相手を~と祈るけどそれはあくまで人間の願望の度合いが強いだけで、信というもので考えたら実はそういう考えではないじゃないっすか
ああ、私弁天様を信じ切ってます~
神さまはあります(小保方)!!そんな感じで家でも熱心にお祀りしてるかといわれりゃそうでもない
そりゃあ御神徳は現れんわな~、だってあんたたちが我々信じてないもん
こういう世界はお互いの信頼関係で成り立ってるだろ?
そんな感じなのだと思うのです
神仏様は空気と同じでそこにある、いらっしゃっても意識しないとわかんない~あらわさない~
そんな風にも言われるじゃないっすか
意識してお祀りして~ そうするとはっきりと現われになる的な感じ
そういうものなのでしょう
そりゃあ御祈願ジプシーには御神徳はそうそう現れんわな~と思います
多分皆さんご祈祷受けて木札頂いても飾ってるだけじゃないっすか?
お米やお塩なんかお供えしても拝んでないっすよね
祈祷してもらうと、たいていは大祓いや略式の祓い、御祭神の真言なんかが書いてある小冊子いただけるじゃないっすか
ということは本来はそれ見てきちんと拝めよ!!ということなんですよ
神社さんって基本的にきちんと拝んでください云々はおっしゃりませんが渡すということは本来そう言うことなんだと思います
信っていうのはやはり日ごろのそういうことから深まっていき
それが相互の信頼関係に育っていくものなんだと思います