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ナレ死義元は華も実もある武将だった

徳川家康さんという人がいまして。狸とか呼ばれてるらしく。


ほら、私名古屋だし、よく岡崎城なんか子供の頃から行ってる訳。

子供の頃の愛読書が大相撲百科と

忍術手品の秘密と城なんでも百科だったから。

 


親戚やお墓が静岡にあったりもして

浜松城や駿府城にはしょっちゅう言ってたわけで

だからといって蛍にももちろん父さんにも言えるはずがないのであって

 

と最近本屋で読んだデアゴスティーニかなんかの

北の国からの純調であって

岡崎城って神君家康の産まれたお城で思いいれたっぷり、

的なイメージでしょ?


でも子供の頃から利発な私は?と思ってたんです。

まだそっちよりはながしのの戦いのあの辺りのほうが

家康の匂いがするぞって思ってたし、
もっというと安倍川のほうがより感じてたんです。
(お墓参りの帰りにうなぎパイと

安倍川餅を買って貰うのがうれしくてたまらん!!)。

 

でですね一月ほど静岡にも住んでたりで

(実は色んな土地を結構転々としてたりで)駿府城には
その頃しょっちゅう行ってたんです。

思ったのは家康はここが一番思いいれがあって

結局ここなんだって。
死後日光や鳳来寺さん、久能山の東照宮にも祭られてるが

久能山(静岡ね)が一番


家康を感じたりなんです。

歴史的には幼少の頃は今川に人質に取られ

静岡生活は屈辱的みたいなかかれ方してるが
実は本当にそうか?

 
と感じたりね。ま、確かにそういう面もあったと思うが

実はもっと良い思いでも結構あったような。

私のリーディングだと今川義元って凄く教養ある人物じゃん。

でその軍師の太源さんってかたが相当教養ある方と感じて。
その方が実は竹千代(家康)を教育してるんじゃないかな。

家康って当時としては珍しく読書家じゃん?

いまだと凄いインテリなわけ。
どう考えても田舎の三河の御曹司じゃそんな読書家にならんじゃん。

ってことは人質時代しか考えれんわけ。

当時の駿河って義元さんの貴族趣味を
みれば分かるように文化水準凄い高いわけ

 

ナレ死が残念義元さん 後のと竹千代さん(家康)を

今川の軍師か何かにするつもりだったんでしょうね

 

絶対に それくらいある種の英才教育的教育を与えてると感じます

桶狭間で死んでなかったら

 

義元さんって信玄、謙信と並び称されたかもね 後の世で

もしかしたら文化水準や学でいえばそれ以上と

 

私の中では案外華も実もある武将なのですが

信長があの時代に出てこなければ

 

駿府、尾張、三河は桶狭間時点で手に入れて

最も上洛に近い男だったでしょうね

 

多分足利将軍家再興して副将軍になったかも?

今川幕府ではなく足利幕府再興かな~?

 

多分平氏のように貴族的政権目指すかなと 天皇の外祖父あたりになって

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