現在我が家の冷蔵庫にはネギなるものが入っている
ネギというものは、風邪ひいたときに首に巻いたり
味覚障害の時に鼻に突っ込むものという認識ですが
とにかくくっさい!!冷蔵庫開けるたびにドエライ匂うYO!!
ちなみに水炊きなるものを作ろうとネギと鶏肉買って食べましたが
実は鶏肉が食べられない時期が数年あったことを思い出しました
ははは
なんかぷよっとしたあの食感が蘇ってきたので、しばらくはパスします!!
さてツイッター(改めX)の中でお稲荷さんは怖いか論争が起こってますが
(そんな大層に怒ってるわけではないと思う)
私が思うに怖い怖くないというよりも、含意の内容やそこに到達しようとするプロセスやアプローチの方が重要だと思うのです
私の経営の師匠とそのパパさんの口癖は分相応なのですが
その含意は分不相応じゃないか??
常識的、社会通念と照らし合わせても、あんまよろしくない我欲じゃないか?
お願いをした相手(お稲荷さん)に失礼はないか?
その辺りの方が大事ですよね
私的にはおっかない思いする人って、結局その辺りに問題があると思うのです
お優しいといわれる観音様にしても、厳しい、怖い云々言われる聖天様にしても、
普通に考えれば我々人間よりも強大なお力(今風に言えばエネルギー)を持っている
自然なんかも、美しくて人類に大きな利益を与えてくれる半面
地震や災害のようにとても恐ろしいことだってある
自分たちよりも大きな力を持ったものってそういうものだと思うのです
まずはその辺りの認識が大事で
そういう方に対しては、やはり惧れや敬いというものは大前提として必要なのです
その前提条件と照らし合わせて、そのお願いや接し方には問題はあるのかどうか?
なのだと思うのです
いわゆる野狐と呼ばれているものではなく
護法善神として働かれている狐や蛇のような眷属であれば正しいお働きをするのです
これらの眷属や聖天さまやダキニ様のようないわゆる天部
観音様のような方々の性格の違いによって
我々が失礼なことをした場合の対応や反応に差が出るのだと思うのです
眷属の場合は、やはり神仏よりは境涯は低いので
怒る!!天部の場合は、間違いをはっきりと示す
観音部の場合は、指摘はしないけど叶えない(無視する)
そんな感覚に近いのかもですね~
我々のように都合の良い生き物は、天部は怖くて
観音様はお優しい~と思っちゃいますが
実は対応としては天部様の方がお優しいとも言えなくもない
間違えさえ指摘せずに無視よりは
逆に眷属の場合は、大きく間違えちゃう前のほんのちょっとの些細なことで
怒るので、防災という観点でいえば一番ありがたいといえるかもしれませんしね
その辺りは祈願をする側、お知らせを受け取る側がどれだけ
その辺りを理解しているかによるのだと思うのです
ちなみに誰にお願いを、どなたを信仰すれば~ですが
縁があった方でええんじゃないか?と思うのです
縁がある方を熱心に信仰するというのが一番ですが
もひとつ皆様が勘違いするのが
熱心に短期間はあかんよ~
縁(信仰も)というものは太く短くよりも細く長くが大事なのです
そう考えると、若いころはお金や名誉だ云々という我欲の願い中心だったのが
年取ってじいちゃんばあちゃんになったら、家族の息災という願いになるという信仰はとても正しい信仰なのでしょう
(徐々にそうなっていくことが大事なのでしょうね~)
人間何事もないことに感謝できるかどうかって大きな差になります!!
ちなみに我欲だけのお願いというものは
結局叶っちゃったらそこで終わり~というものでその先もお祀りさせていただきます、大事にさせていただきますにならない場合が多いので
いわゆる天部の方や眷属様がおっかない(怒らせる)ということにつながる場合は多いと思います